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2004掲載
『聖書翻訳を考える』
 
 新改訳聖書刊行会編(いのちのことば社、1050円税込)
       
                    
 新改訳聖書が1970年に発行され、30年あまり経た03年秋に新改訳聖書第三版が900個所を改定して出版されました。  
「聖書翻訳を考える」は第三版出版作業に直接当たられた改訂編集委員によって第三版の解説本として書かれました。 

 内容は「新改訳聖書の歴史と現状と将来」「第三版の見どころ 旧約聖書1、2、新約聖書」「差別語、不快語の改訂について」「座談会 新改訳聖書改訂第三版 訳語変更の主眼」となっています。  改訂の内容として@差別語・不快語の改訂Aらい病の表記をヘブル語音読みの「ツァラアト」と変えたことB従来の新改訳聖書の翻訳で釈義上問題とされた個所、本文学上変更するほうが妥当と思われる所、その他言い回しが簡潔でなかったり、冗長である所などです。  

 語られた神の言葉を聞く人が正しく理解するように伝える、もちろんそこには聖霊の働きがありますが、これは福音宣教の本質です。神の言葉を受けた聖書記者は、彼らの言語・文化でそれを表記し、それは他の言語・文化の人々に伝達されます。ここに送り手の言語・文化の研究と受け手の言語・文化の真摯な研究が必須のこととなり、この本からその労苦が伝わってきます。

 聖書翻訳事業は、神の言葉の伝達という福音宣教のすべての課題がそこに凝縮されています。個人的な印象として、聖書は教会の公的礼拝で音読される観点から差別・不快用語の改訂は必要なことです。ツァラアトの表記は消去法でいくなら、(第三版検討の過程で提案された)潜被(微)、重い皮膚病、らい病よりもベターな訳だと思います。これは差別用語の範疇での議論でなく、疫学的には問題外の服、家のらい病表記のあったことから翻訳の範疇の問題と考えられます。  

 座談会形式ですが、論文形式で、なぜツァラアトか、また差別語と翻訳理念の整合性が取り上げられたらと思っています。リテラルで正確、しかも美しい、格調高い訳の聖書が聖書学者、言語学者、翻訳学者と教会との共同作業で生まれることを願っています。

(評・高橋 博=世界福音伝道団長浜キリスト教会牧師)


『とっておきのさんびか物語』
       ボビー・ヴォルゲマス&
          ジョニー・エレクソン・タダ著
        いのちのことば社フォレストブックス

             
(1600円税込)

 
賛美歌の滋味を楽しみながら家族の共有財産に

 
本書は、賛美歌・聖歌が親子・祖父母孫の共通財産となり、若い人々に賛美歌と信仰の継承がなされることを願って編纂されています。大人が子どもに読んであげるのもよいでしょうし、小学校3年生からでも読めるように少しむずかしい漢字にはルビがついていますから、子どもが自分で読むこともできます。
 
 全体の構成は、『神はわがやぐら』(讃美歌267番)など、多くの人々に愛唱されてきた「讃美歌」「聖歌」の10曲を、ボビー・ヴォルゲマスによる賛美歌作者にまつわるエピソードの紹介と、それに続くジョニー・エレクソン・タダによる賛美歌の内容に関連する信仰の勧めからなっています。
 
 例えば、『おどろくばかりの』(聖歌229番=アメイジング・グレイス)については、まず、ヴォルゲマスが、作詞者ジョン・ニュートンについて、幼いときには母の膝の上で聖書を読み聞かされていたが彼が7歳のときに母が亡くなり、やがて奴隷船の船長にまで堕落したこと、しかし何かの理由から聖書を読むようになって自分の罪を悔い改め、そんな自分を救ってくれた神の恵みを歌ったのがこの歌であることなどが紹介されています。それに続いて、ジョニー・エレクソンが自分の友人トーマスさんとその息子ルカ君との間にあった出来事から「めぐみ」「せいぎ」「あわれみ」という聖書によく出て来る言葉を説明して、私たちが受ける資格もないのに神様が恵みの上に恵みを下さることが『おどろくばかりの恵み』であると書いています。
 
 末尾に「さんびかを歌いたいあなたのために」というテーマで、紹介された歌の楽譜がついています。それも、日本語賛美歌の歌詞の隣に英語版賛美歌の歌詞の訳詩が併記されています。これによって日本語になった賛美歌の原詩に近づくことができますし、若い人たちが文語訳の歌詞の理解しにくい意味を理解するのを助けてくれることでしょう。

 もう一つよいことはこの楽譜にコード・ネームがついていることです。ギターとか電子オルガンを弾ける人がいればコードで伴奏をすることもできるのです。各家庭でこの本が用いられて親子でいっそう賛美歌に親しみ、主を愛する家庭が増えることを願い、お勧めします。
 
 (評・黒川 雄三=日本長老教会・知多シオン・キリスト教会牧師)

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『いのちと向き合って』伊藤順造著 
      (マナブックス、630円税込)


 本書は、著者が月刊「クリスチャン新聞 福音版」に連載していた「病の友へ」というコラムをまとめたものである。新たに書き下ろしも加え、再編集した。

 同コラムには、医師であり牧師でもある著者が臨床で出会った患者やその家族のことを記している。ガン治療に力を注ぎ、外科治療の限界、化学・放射線治療の限界に挑んでも、ガンの再発を防ぐことができないという現実に直面した著者は、ガンの再発に苦しむ人々の訴えに耳を傾けざるを得なくなった。
 
 自分の治療方針に従うことを患者とその家族に強く求めていた敏腕外科医は、メスを聖書に持ち替えて、患者の枕辺に立つ機会が増えていった。その中で、患者やその家族の発することばに感動させられていったという。
 
 出合ったことばに心を留め、心の中で繰り返し、ある時、それが1つのエッセイとして形になっていったという。ターミナルケアの現場で出合ったことばは、一言一言が重く心に響く。そんなことばがちりばめられたエッセイ集だ。
  


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  『天国の人』  ブラザー・ユン著
  (マルコーシュ・パブリケーション、2100円税込)



 中国・河南省の家の教会でリバイバルが起こっているというニュースが新聞にも取り上げられたのは、1980年代半ば。同時に、地方政府に激しい迫害を受けているという悲しい報告も届いた。家の教会の集会を、突然、公安局員が急襲して、リーダーを逮捕した。
 
 ブラザー・ユンは、その迫害された家の教会のリーダーの1人であるニュースを読んだ当時は、あたかも聖書の「使徒の働き」を現代で目の当たりにしているような感じを受けたが、あれから20年、本書はその地上に輝く証人の真の姿を見せてくれる。これは涙なしには読めない、と贈呈された本だが、確かに感動ということばが色あせてしまうほどの衝撃を与えてくれた。
 
この世と調子を合わせたクリスチャンには、あまりに刺激が大きいかもしれない。だが、何回もの逮捕、投獄にもめげず、現在も生きた福音の証人として世界中で活躍している著者の真実は、日本のクリスチャンにも変革をもたらすだろう。

 


『小グループで教会は変わる』
    ビル・ドナヒュー&ラス・ロビンソン著
       (福音社、2625円税込)評・大橋秀夫


 真の万人祭司でいのちを取り戻す
小グループと訳されている言葉は、一般に細胞(セル)グループと呼ばれる共同体である。日本に最初に細胞グループが紹介されたのは、1968年にキリスト者学生会(KGK)が出版した<活動するグループ>という本だろう。


 
しかし、この細胞グループ活動はKGK以外に広がらなかった。KGKの主事をしていた経験から、私は開拓伝道に出て6年目の77年に信徒牧会協力者を立てて教会をセル化した。その時、周囲からは「そんなことをしたら教会はいまに分裂する」というありがたいご忠告を受けた。しかし感謝なことに、今では三十数人の信徒や求道者を牧会する信徒牧会者が何人もいるようになった。

 
日本教会成長研修所(JCGI)が92年にデイル・ガロウェイ師、翌年にラルフ・ネイバー師を迎えてセミナーを開催し、ようやく一部の牧師たちに受け入れられた。ガロウェイ師は「メタ・セルグループ」を、ネイバー師は「ピュア・セルグループ」を紹介された。それからJCGIでは、すべての研修生に対し、セルグループを教会成長原則の一つとして教え続けてきている。その甲斐あって、最近ようやく注目されるようになったと言えるだろう。

 本書は「ピュア(純粋)セル」ではなく、カール・ジョージ師が提唱する「メタ(途上)セルグループ」を取り入れた、ウイロークリーク・コミュニティ教会の教会改革の苦闘と勝利の軌跡である。今や北米だけでなく世界的な潮流となっている教会のセル化は、もう一つのプログラムではなく宗教改革がやり残してきた聖書的な教会改革であると思う。
 

 
成長する教会には、セルグループ(=小グループ)があることが今や常識とさえ言える。その中で取り残された感のある日本の教会でも、セルグループによる信徒中心の、真の意味での万人祭司の教会が形成されることによって、いのちを取り戻すことになるだろうと信じる。

 自分の属する教会の成長とセルグループ造りに関心を持つリーダーには、これ以上ない入門書であり手引書である。

 (評・大橋秀夫=日本福音自由教会協議会・クライストコミュニティ武庫之荘チャペル牧師)

 


『信仰の完成をめざして
      ヘブライ人への手紙説教集』
        女性教職神学研究会編 
      日本キリスト教団出版局 四六判 2520円税込



 教職者32人(女性)が恒例研究会で緒論、神学的ポイント、各章釈義など論議し、各自選んだ個所の説教原稿を持ち寄って検討しあった後、それぞれの牧会の場で語ったリレー式説教集である。

 しかも、あえて「研究会としての共通認識を得たわけで」ないため説教者の個性が醸し出されており、それへ親しみを覚えて読むうちヘブル書の論旨に引き込まれる。信仰の馳せ場を走りぬこうとの勧めにきらりと光る表現が見られ、何か所かで働きの場の息遣いに触れる瞬間がある。

 ただし、福音主義または聖書主義に立つ人には注意が必要な個所が何か所か含まれる。特徴的記述を1、2拾えば、まず、1章6節の詩篇97篇7節が89篇28節に読み替えられている事に注意すべきである(20ページ)。

読み替えなら多少専門的でも写本上の根拠を提示する必要がある。また、読み替えを極力避けるのが聖書釈義の鉄則である。「パウロと同様に律法の廃止を主張」などとある所も注意を要する(85ページ)。キリストもパウロも律法の役割完成や永遠の契約成就を語っても律法廃止や契約破棄は語っていない(218ページ)。そのほか、「(キリストが)聖霊として…共にいてくださる」(154ページ)とある所などで注意が必要である。
 
 ただ、女性の教職者の置かれた一般的状況に触れる序論にうなずかされる。世話人代表春原鈴子氏(東大和教会牧師)は、宣教の召命を受けた者は「男女を問わず説教の務めを受けて」いるが、「女性教職に与えられる説教の機会は現実にはそれほど多く」ない。「教職者自身も身を引こうとする傾向がないわけで」ない。
「説教力が身につかない」ことにならぬよう研究課題を受け集うと語る。その個所を読んで評者も、自らの中に意外にも潜んでいた儒教的美意識に気づかされる時まで身を引くほうだったのを思い起こす。春原氏は、「主の教会のために、男女教職がそれぞれの賜物を分かち合い、連帯の実を主にささげることができるように」と願いを記し共感をそそる。

 

(評=稲垣緋紗子=パリ・プロテスタント日本語キリスト教会伝道師)


『名著を入口に聖書に聞く』
   
佐藤博著(マナブックス、1260円税込)


 
人生の折々に著者の心を捕らえた世界の名著21冊の感動が、エッセイ風に綴られている。たとえば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、遠藤周作の『おバカさん』、立花隆の『宇宙からの帰還』、太宰治の『走れメロス』、吉川英治の『宮本武蔵』、三浦綾子の『道ありき』など。
 
 文学愛好家にはたまらないラインアップだが、本書が意図するのは、単なる名作紹介ではない。タイトルにあるように、さまざまな文芸作品を通して、何とか、世界の文学の源流とも言える聖書に親しんでほしいという密かな願いが本書を支えているのである。
 
 しかも、その文体は評論家のそれではない。若き日から、病に倒れ、さまざまな挫折を味わった著者が、心の叫びとして、名作との出合いを語り、聖書の尽きることのない魅力を紹介している。
 先に「エッセイ風」と紹介したが、文体は緻密で、深みのある人生論でもある。

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『キレない心を育てる!』佐藤綾子著
      
(講談社、1260円税込) 評・佐々木満男 



 パフォーマンス学の日本における第一人者であり心理学博士でもある佐藤綾子さんの127冊目の本です。KKT(かたい、くらい、つまらない)の本が数多く出版されている中で、佐藤さんの本が次々にヒットする秘訣は、ATT(あかるい、たのしい、ためになる)であるからだと思います。

 天の父も神の子である人間を生かし、育てるのに大変苦労しておられます。ですから、人間の親が自分の子どもを育てることは容易でないのは当然です。親の性格にもよりますが、子育てというと、厳しくしつける律法主義か、ただほめて甘やかす放任主義かに片寄ってしまいがちです。しかし著者は、「キレない子、優しい子」を育てるのは、日常的な親の自己表現力と子どもの自己表現力の養成にかかっていると断言しています。

  子どもの「キレない心」は、自然に生まれるものではなく、親の心と親の自己表現のひとつひとつがそれをはぐくんでいくのです。本書の特徴は、第1に、「あかるい」ことです。読んでいるだけで心が明るくなります。第2に、「たのしい」ことです。自己表現ができるようになることは実に楽しいことなのです。第3に、「ためになる」ことです。簡単で具体的な方法と実例が満載されています。本書を読んで実行すれば、親のためになり、子どものためになり、社会のためにもなる、まさに一石三鳥です。また、各所に著者がクリスチャンであることがさりげなく証しされていて、福音の伝道にも役に立つ本です。


  佐藤綾子さんの新著『キレない子を育てる!』を10人にプレゼント。
はがきに〒住所、氏名、年齢、職業、電話番号、本紙へのご意見やご感想を記入し、
〒101−0062東京都千代田区神田駿河台2−1 OCC5F クリスチャン新聞「佐藤綾子新刊プレゼント」係まで。11月30日必着。



『サーバント・リーダーシップ』
       ジェームス・ハンター著

                     
石田量訳
           (PHP研究所、1470円税込)




 ここ数年、日本で注目されているリーダーシップ理論である。日本ではまだ事例は少ないが、アメリカでは大企業から中小企業、また病院、教育機関、教会などの非営利組織などで広く導入されている。  

一言で言えば、リーダーは、まず部下を思いやり、部下への奉仕により信頼をえてはじめて指導力を発揮するという理論だ。もちろんこの概念の根底にはイエス・キリストの考え方や生き方がある。当然、古くから多くの先人たちによって実践されてきたリーダーシップの考え方だ。

しかし、同書にも書かれているとおり、「サーバント・リーダーシップ」という言葉自体が初めて世の中に登場したのは、今から35年前、ロバート・グリーンリーフ氏が『The Servant as Leadar』という小著においてだった。

この古くて新しいリーダーシップ理論が、日本でも徐々に認識され、このほど啓発・普及のためNPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会が発足した。訳者は同協会の理事長でもある。  同書は、小説仕立てで読みやすい。

主人公のジョンが管理職としての限界を感じ、家庭関係もうまくいかない。そこでカトリック修道院で開催されるセミナーに参加する。そこで、かつて航空会社を再建させ、今は修道僧となっているシメオンという人物と出会うという内容だ。同書には参加者として牧師も登場する。 これまでのトップダウン型組織が破たんをきたしている今、このような聖書に基づく理論が多くの組織に必要とされているのだ。



『共に歩むキリスト』
  
 渡辺総一著(新教出版社、1995円税込)

画家渡辺総一氏が聖書をモチーフに描いた52枚の抽象画と、その場面の聖書のことばを組み合わせた1冊。

「視覚的なイメージを通して黙想の導きになれば」と編集された。掲載されている絵は主にキリスト教雑誌「福音と世界」の表紙絵として採用されたものだ。シンプルな絵だけに、聖書のメッセージ性とあいまると非常に強烈なインパクトを見る者に与える。

 例えばイエス・キリストのたとえ「放蕩息子」を題材にした「息子の帰還」(左)。黄金色の背景に、薄汚れた息子を真正面からしっかり抱きかかえる父親。そこには何もいらない、ただ神の愛のみあればという絶大なメッセージが伝わってくる。右ページには、「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。
ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15章20節・新共同訳)のことばが記されている。  
絵を見れば見るほど聖書のことばの深みを味わえ、聖書のことばを読めば読むほど絵が醸しだすメッセージが心に染みいる。  

渡辺氏はあとがきで、「わたしは、現代において、また日本において、キリスト教美術はどのようなあり方ができるのだろうかと自問しながら、一点ずつ制作してきました。その姿勢は現在も変わりありませんが、その折々に出会った作家や作品、書物によって刺激され、信仰の新しい造形を試み続けてきたように思います」と記す。確かに描かれた時代時代による作品のタッチの変化が見てわかる。そういう意味で単なる作品集ではなく、渡辺氏の人生、まさに信仰生活がつめこまれた1冊といえるだろう。



『ディートリッヒ・ボンヘッファー』
森野善右衛門著(福音企画印刷、1575円税込)



自分の人生を生きる中で、この人がいたから生き延びることができたと言える人がいる。  評者自身、若き日の危機的時代をボンヘッファーの神学によって生き延びることができた者の1人である。

「高価な恵み」としての「主に従う」信仰、「聖徒の交わり」としての教会生活のあり方を教えられた。  本書の著者から、ボンヘッファーに出会って、キリスト者とは何か、伝道者とは何を意味するかを教えられたことが、感動をもって読者に語りかけられる。  

本書の特徴は、著者によるボンヘッファーとの対話から、自分自身のボンヘッファーとの対話を対話させることによって、キリスト・イエスの道へ誤ることなく導かれることである。

宗教改革の神学に精通しながら、教派神学にとどまることなく、この時代におけるキリスト・イエスとはどなたであるのかという問いをまっしぐらにしたその凄さである。それによってヨーロッパ神学が見失ったものを見つけることができる。

「キリスト・教会・世界」に関するボンヘッファーとその時代の証言である。  目次はT.ボンヘッファーと現代、U.教会の展望、V.告白する教会から世のための教会へ、W.ボンヘッファーとエキュメニズム、X.説教―世界に向かって語る教会の言葉、となっている。そして結びが「神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる」である。

 メノナイトの教会の伝統の中に参加している評者にとって、ボンヘッファーのヒットラー暗殺計画への参与をどのように考えたらよいか、今でも神学的に苦悶している。  しかし、それ以上にヒットラーの状況を生み出したドイツ・キリスト教会の悲惨さ、「宗教改革なきプロテスタンティズム」としてのアメリカ・キリスト教のセプテンバーイレブン以降の対応に、ボンヘッファーと同じ悲しみを覚えている。 (評・東條隆進=早稲田大学教授)



『「異教としてのキリスト教」
              からの脱却』

櫻井圀郎著 リバイバル新聞社・1575円・四六判


学者であることの条件は、新しい考えの枠組みを提供できること。
そんな発言をどこかで聞いた覚えがあります。外国の書物を翻訳.紹介するだけでは学者とは言えないということでしょう。そういう意味で、本著者の櫻井圀郎氏は紛れもない学者でしょう。西洋神学説の紹介業をこととするを潔しとせず、日本人として神学をし、新しいものの見方を提供する神学者でありましょう

キリスト教会では「異教社会における取り組み」といったテーマで日本の宗教の研修が開かれます。そこでいう「異教」とは、「そのように、キリスト教以外の宗教を否定的に排除すべきものと考える、キリスト教側の姿勢の現れだ」と著者は揺さぶりをかけます。人口1パーセントの枠を超えられず、社会に受け入れられず、定着できない教会…。

それこそ「異教としてのキリスト教」ではないのか。これが、逆から突いてくる本書の問いかけでしょう。  外国でもなければ、日本でもない異様な空間。キリスト教会が日本において「異教」に甘んじているのは、日本人を忘れ、自分に自信を持たず、「外国の物真似」を続けるメンタリティーに原因がある。外国にある日本人教会の方がかえって自然だ、そんな指摘にハッとさせられました。  

「日本社会に入り込み、日本人と向き合い、日本文化を克服し、日本人の意識を転換していかなければなりません」そう願って日本宣教のための弁証に取り組む著者の、イースターの異教的背景を説明した上での「桜の日」の提唱などは、一考の価値ありと思いました。このような具体策をもっともっと掘り起こしてゆくべきでしょう。   

歯に衣着せぬ明快な論旨は魅力ですが、リバイバル新聞に連載された文書における福音主義教会に対する歯に衣着せ過ぎぬ発言は少し気になりました。しかし、畏友櫻井圀郎氏の日本宣教への並々ならぬ熱意と自分の目でものを見る神学者としての異色の仕事が、確実に成果をあげていかれることを切に願うものです。

評)大和昌平 京都聖書教会牧師、共立基督教研究所研究員


『旧約聖書』  
C・レヴィン著/山我哲雄訳
(教文館、2,100円税込)

著者C・レヴィン氏はドイツの旧約聖書学者、翻訳者の山我哲雄氏は著者との交流が深い北星学院大学大学院の教授で、日本の旧約学会の指導者のひとりです。本の裏カバーには「一般向けにかかれた入門書」とありますが、内容はかなり専門的です。  

幾つか特徴的な叙述をかいつまんで見ると、現在の旧約聖書には「王の即位式」などといった王国時代からの「古い」資料が利用されているとしても(59ページ)、それが出来上がるのは捕囚期以後であって、前6世紀ごろの分量はその1割にも満たないものであったと言われます(40ページ)。

たとえば、詩篇には年毎に祝われる王の即位式などの宮廷祭儀がしばしば背景とされますが(62ページなど)、他方、申命記は前7世紀の起源のものであって(108ページ)、成立は捕囚期以後、また現在のかたちの「十戒」もまた捕囚期以後に完成されたものと主張しています(104ページ)。

 旧約聖書のテキストをエジプトやメソポタミアの文学と比較し、それらの文化との接触が色濃く反映されていると、随所で強調されています(44、46、50ページなど)。トーラー(律法)に含まれる「もし…ならば…となる」という決疑法は、古代バビロニアに幾つかの類例があることはよく知られています(54、55ページ)。
 全体を読みこなすには、かなりの想像力が求められます。

ただし、批評学にたつ著者の見解のうちでも、「大昔にシナイ山でユダヤ教が創設されたというフィクション」(36ページ)、ヨシヤ王の祭儀集中化の政策は「伝説」であるトーラーの発見とむすびつけられる(U列王記22 〜23章)といった説明や、「ヤハウィストの歴史書はおそらく、バビロニアのユダヤ人の最古の証言」であるとか、「アモスとヤロブアム二世」を直接に結びつけるのは「虚構」である(72ページ)、「(ヤハウィストの活動とは)対照的に、申命記主義的歴史書はユダの地で成立し…」(85ページ)といった見解には注意が必要でしょう。
なお、巻末には日本語の参考文献も示されています。
(評・石黒則年=大阪キリスト教短期大学教授) 


『説教 6』
説教塾紀要編集委員会(教文館、1995円税込)

 加藤常昭先生を中心として始まった若い説教者たちの研鑚グループがある。その名を「説教塾」と呼び、東京だけでなく関西、中部でも活動している。その説教塾の紀要『説教』の第6号が本書である。  説教塾に集う人が教派的・神学的に多様な背景をもっているように、本書への論文寄稿者も多様である。  冒頭には、私の同僚、藤原導夫氏(日本バプテスト教会連合市川北バプテスト教会牧師)による「加藤常昭先生の説教論」があり、だれにもわかるようによくまとめられている。  また、聖学院大学政治経済学科教授の梅津順一氏によるピューリタンの「リチャード・バクスターの牧会と説教」という貴重な講演あり、滞日宣教師イエーガー氏(日本フェローシップ・ディーコンリー伝道会)による「宣教師のパースペクティブから視た今日の日本の説教」という、日本の教会への大胆で愛のこもった提言ありである。  東京神学大学組織神学教授である近藤勝彦氏は、従来の教義学・組織神学における説教取り扱いの不十分さをとりあげ、それを説教が世への宣教(伝道)にまで展開されてこなかったことと結びつけている。  日本基督教団金城教会牧師である武田真治氏は、ご自身の牧会現場で“説教する”体験と説教塾で“説教を聞く”体験をふまえて、「説教が聴衆に『届く』ということ」を追求し続けている。  最後には、加藤常昭先生による近況報告「戸倉だより」があるが、それは、今もみ言葉を語ることにおいて、だれよりも真剣で向上心に満ちておられる先生の気概を感じ、説教する者は襟を正される。  わが国に、説教塾という説教研鑚のグループが存在することを喜び、メンバーとして参加する機会を得ない人たちも、本書をとおしてその恵みを受ける道があることを紹介し、推薦したい。  (評・河野勇一=日本バプテスト教会連合緑キリスト教会牧師)


『ヨシュア記に聞く〜見えないものを大切にした人たち〜』
服部 嘉明著(ユーオディア、1500円税込)

福音派屈指の旧約学者で、北米シアトル近郊に引退後、超教派信徒宣教グループ「ユーオディア」顧問を務める服部嘉明氏が、地域での旧約聖書学び会で用いた原稿から、本書は生み出された。

創世記、出エジプト記、ローマ人への手紙に続き、4作目。信徒学び会の原稿という性格こそ本書の特徴で、かつ本書を釈義/解釈/適用のバランスが極めて良い内容にしているゆえんでもある。
特に旧約聖書は、本書の背景にあるような聖書研究の場で、当時の状況に参加者一同が身を置きつつ、質疑応答を通して現代社会に生きる自らに適用する時にこそ、より深く心に残る学びができる、と評者も確信するところである。その意味で、服部氏の学び会に同席している臨場感で誰もがヨシュア記を実践的に学べる、稀有の書と言えよう。

昨今の不穏な世界情勢のただ中で生きる、聖書信仰を信条としたキリスト者は、いかにヨシュア記を読み適用するか。聖戦、聖絶、征服などのことばが一人歩きしがちなヨシュア記解釈だが、著者は贖罪史的文脈と本文釈義を重視し、内外の注解書からも引用しつつ、ヨシュア率いるイスラエルの民がこの時置かれていた特殊状況と、神の民としての独自性を浮き彫りにする。戦いを知らぬ遊牧民族が、神の導きと命令によりモーセ律法を携え、信仰も文化も全く異なる未知のカナンを占領分割し、そこに定住するよう求められた事実。それは、究極的に混じり合うことのない不可視の神の国を携え、この世に遣わされている私たちの感じる戸惑いと、それを超えて主に信頼しつつ一歩を踏み出す勇気に通じる。

 本書は霊的解釈を避け、聖書本文がどう書き表しているかを丁寧に示すことで、それを見事に描き出している。副題は、ヨシュア記の生々しさからすれば一見奇異に聞こえるが、じっくり読み通した後ではうなずかされる。
この時代に北米で生み出された本書を、今ここで真摯に生きようとするすべてのキリスト者に推薦する。
 (評・関野祐二=聖契神学校校長)
 ※申し込み=1042-536-7076、ユーオディア日本事務局・日高道子



Surfers Bible

 世界で一番大きなスポーツ文化といわれるサーフィン。日本でも220万人ほどの愛好者がいると推定されている。
Surfers Bibleは、クリスチャンサーファーが世界のサーファーのために作った聖書。新約聖書の文書のほかに、現役のプロサーファーやボディボーダーなどが自分の経験を分かりやすく語る。世界でも約6万部が出版されるなど、好評発売中。

いのちのことば社 四六判 定価1115円税込
問い合わせ先 クリスチャン・サーファーズ・ジャパン
TEL:0475-32-7040




『マルチン・ルター 原典による信仰と思想』
徳善 義和著(LITHON、3150円)

 2017年にはルター宗教改革500周年の記念行事が開かれる。その準備もすでにドイツのヴィッテンベルグを中心に始められている。世界中のルーテル教会がそのための準備を始めている時に、本書がLITHONから再版された意義は大きい。

 著者の出発点は、ルターがカルヴァンやバルトのような体系的な思想家でなしに、状況の神学者ととらえることである。自己自身の内なる状況や外の状況との絶えざる戦い、折衝の中でそうした状況を生々しいまでに反映させながら、その時々の自分の戦いの軌跡を残していく思想家である。ルターの説教、講義、書簡、啓蒙文書などは百数十冊ものワイマール版に収められているが、著者はそれらを「いかに信じ、いかに生きるか」を問い続けた思想家として5章200ページの書物にまとめている。
 そのためには、ルターの生涯を概観しなければならない。ルター誕生、生い立ち、大学生活、修道院入り、神学研究から神学教授へ、1517年の95か条の提題において節目を迎える。その後、1521年4月の「われここに立つ」の発言、聖書の翻訳、ヴィッテンベルグでの宗教改革の推進という形でルターの思想形成を追っていく。

 しかし、ルターは、単なる「オポチュニスト」ではない。彼の出発点は聖書であり、彼の土台は聖書以外の何物でもなかった。彼は旧約聖書と新約聖書の全体を神のことばとして受け取った。祈り、黙想、試練によって文字で書かれた言葉が聖霊の生きた語りかけになって信仰者に生きる力と自由と愛を与えるとする。
 21世紀に現代社会また教会が直面している問題は、ルターの時代とまったく異なっている。諸宗教との対話、戦争と平和などの諸問題に直接の回答をルターから得ようとすれば失敗するだろう。しかし、この小さくまとめられた著書を読み、聖書を信じ、聖書に生きた人間がどんなキリスト教的な人間像を形成するかということを知るならば、現代に生きる私たちには私たちなりの答えが与えられると確信させられる。
 (評・鍋谷堯爾=神戸ルーテル神学校教授)


『日本の信徒の「神学」』
隅谷三喜男著(日本キリスト教団出版局、2,520円税込)
評・湊 晶子


 労働経済学を専門とされた隅谷三喜男先生(1916〜2003年)は、学者、研究者としてはもちろんのこと、教会、キリスト教諸団体、東京女子大学の学長など多方面で重責を歴任され、昨年2月22日、86歳の生涯を閉じられた。生前出版予定であった『日本の信徒の「神学」』が、召天1年の記念として出版されたことは、現代日本のキリスト教宣教にとって意義深い。先生の私たちへの遺言として読むべきである。

 私は隅谷先生が1961年に出版された『近代日本の形成とキリスト教』を、留学先のアメリカで初めて手にした。東京女子大学で西洋史を、米国の大学院で英国政治史を学んでいた私に、日本人キリスト者として聖書と初期キリスト教史を学ばなければならないとの思いを起こさせ、現実に大学も専攻も変更させるほどインパクトの強い書物であった。
 
 ちょうどそのころ、H・クレーマー教授の『宣教の神学』に続いて『信徒の神学』が出版されていた。その時以来、今日に至るまで多くの議論が重ねられてきたが、それらの議論を集約しつつ、社会科学者であり一信徒でもあった隅谷先生が結論として記されたのが本書『日本の信徒の「神学」』である。先生は日本人信徒の存在様式が西欧とは異なる姿を取っていること、それを分析して現在の教会に新しい視点を提供する必要性を強調した。文中で〈日本の信徒〉としてあえて〈〉を付したことに表されている。
 
 「神学者は2階にいて、勉強している。信徒は日曜日だけ2階に行って、あとは1階で生活している。両者がこの辺の問題点を互いに指摘し、生活様式にまで踏み込み、問いかけながら、時には戦っていかなくては展開はないのではないか」と、すでに40年前に「近代日本の形成とキリスト教」で予測した内容を、21世紀の日本宣教の問題点としてより具体的に指摘している。第一部の「日本人とキリスト教」は、本テーマに関連する講演などの収録であり、すでに在庫がなくなったものが多く、資料として貴重である。(評・湊 晶子=東京女子大学学長)
『まったく当り前の教会生活』
中澤信幸著(恵友書房、630円税込)


 信仰生活の霊的な基盤づくりを目的とするシリーズ。「まったく初めてのキリスト教」「まったく0(ゼロ)からの信仰生活」に続く第3作目だ。礼拝や交わり、証しなど、教会生活の基本的なあり方について100ページ余りの小冊子で簡潔にまとめた。付録として受洗準備クラス用テキスト付き。(恵友書房/B6判/630円税込)
『JOINの作り方』
上野 有著(JOIN企画、500円税込)

 1995年結婚をきっかけに夫婦ユニットを結成し、全国の教会を中心にクリスチャンシンガー「JOIN」としてライブ活動を展開している著者が、結婚までの道のりや20代の歩み、夫婦げんかの体験や、仲良し夫婦になるまでのヒケツを、中学生にも読みやすい飾らない文章でつづる。(JOIN企画/A5判/500円税込)
                   


『恵みを知らないクリスチャン』
デイビッド・A・シーモンズ著(イムマヌエル綜合伝道団出版局、1,785円税込) 評・中島 秀一

 著者は12年間、宣教師として南インドで奉仕され、帰国後アズベリー神学校で牧会学教授、1991年引退後もカンセリングやセミナーで活躍しておられるその筋の専門家である。
 読了後ずっしりと心に残ったメッセージは、「人はいかにして神の御前に立ち得るか」であった。このテーマを前にした多くの人々は、自己の義の行為に根拠をおくか、キリストの十字架の恵みに根拠をおくか、のどちらかである。

 両者には律法と福音、行為と信仰、裁きと愛、赦すことと赦されること、抑圧と抑制などの対立面があるが、同時に相関面もあることも事実である。その間の不解明性に、多くのクリスチャンが「霊的行為の罠」(完全主義)に陥って行く危険性があることは、自らも含めて多くの人が経験するところである。
 著者はまことに明快な論旨、注意深くて印象的な言葉遣い、経験豊かな実際的な事例をあげて、もつれた糸を解くように、混乱した信仰の糸を見事に解いている。
 
その一例を挙げれば、行いの罠に捕らわれている者の兆候は「罪責感、低い自己イメージ、偽善、怒り」などだ。恵みへの妨げは「罪深いプライドというウイルス」。親の教育にも「恵みと恵みでないもの」があるという。偽りの恵みは「感傷主義、フロイト主義、パリサイ主義、頑張り主義」。そして、「恵みとは、受ける価値が全くない者に対して、神の愛が行為になって表現されたもの」、「天国に入る理由は恵み以外にない」ことが繰り返し宣言され、「癒しの恵み」、「行いの罠からの脱却の恵み」が力強く語られている。
 
多くの傷を抱えている現代社会にあって、教会も決して例外ではない。「本当の偽物は限りなく本物に近い」。現代の教会はその内外から大きな挑戦を受けている。今こそ純粋な聖書の恵みの福音に立つことを、本書は私たちに求めている。
 最後に、困難な翻訳に当たって下さった訳者、河村従彦氏に対し、ひと言のお礼を申し上げておく。
(評・中島秀一=日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会牧師)
『聖書を信仰と生活の規範として−Q&A』
佐藤 順著(アンカークロス出版、840円税込)

 月刊誌「恵みの雨」に掲載したQ&Aコーナーで、牛込キリスト教会主任牧師、カリフォルニア神学大学院日本校学長の著者が担当した分をまとめた。副題は「正典的聖書解釈による質疑応答」。話題は結婚、子育て、祈り、聖霊の導きから、信仰による戦争、軍事力、イスラムまで幅広い。(アンカークロス出版/新書判/840円税込)
『アポリュオン』
ティム・ラヘイ、ジェリー・ジェンキンズ共著
(いのちのことば社フォレストブックス、1,890円税込)


 シリーズ第5弾。書名はギリシャ語で「破壊者」の意。ユダヤ人が多数回心する中、エルサレムで開催された信仰者たちの集会に、群衆を取り込もうと突如現れたカルパチア。そこへ2人の証人が立ちはだかる。主人公らは迫り来る危機に敢然と立ち向かう。(いのちのことば社フォレストブックス/四六判/1890円税込)
                   


『愛と信仰のあるところに』
李 東元著(いのちのことば社、1,680円税込) 
評・小川 国光


どのような宗教的・文化的背景の国でも、キリスト者がその確信する聖書信仰を実生活の場で生き抜くことは日々の課題だ。リバイバルを経験した韓国の教会においても、何を信じ、どのように生き抜くかの課題がある中、特に独身、既婚を問わず若い世代の信仰者のために書かれたのがこの本である。著者の豊かな学びと真実な伝道・牧会の働きから生まれた書である。
 興味深いことにこの本は2章だけからなっている。前半は神の国に生きるキリスト者にとって、現実社会の具体的な生活の場での最善の生き方の秘訣は、愛に徹底した生き方であることを強調している。キリスト教人口が25%と言われる韓国においても重要な課題はやはり「家庭での信仰生活」であることに真実感を覚える。神の似姿に創造された自分自身の再発見、劣等感の克服、豊かな夫婦・家庭生活の再建、親子・嫁姑のコミュニケーションなど、私たち日本のキリスト者にも愛の真実が試される領域である。
 後半では、その愛の歩みの根底となるキリスト信仰の基本的な側面を非常にわかりやすく記している。福音の本質、人格的なお方としての聖霊、キリストの建てられる教会、義認、聖化、宣教のことが論じられている。信仰生活の骨格系統が教理の徹底であるならば、愛の実践は肉付けといえるだろう。その意味でこの本が2章からなることが理解できる。
 日本の教会でも、この21世紀に常に信仰および愛の理解と実践の再吟味と深化が真剣になされていく必要がある。そこにこそ希望に満ちた教会の将来が開かれてくるからだ。
 一つひとつの具体的テーマを聖書の啓示に基づき、全体的・総合的に理解し、その霊的原則を抽出して、具体的な決断と応答へと読者を導いていく。実生活での信仰の徹底を願っておられる方々には必読の書である。あえて言わせていただくと、希望についての1章を加え、現代人の重要課題の一つである生活と奉仕の中での危機管理を具体的に扱っていただけたら更にすばらしかったと思う。
(評・小川国光=武蔵野福音自由教会牧師)


『動物と共に生きる』チャールズ・バーチ、ルーカス・フィッシャー著(日本キリスト教団出版局、1,470円税込) 

動物と人間の関係はどうあるべきか。絶滅危惧種が増え続ける中、自然環境の維持のために人間ができることは何か。世界的な生物学者と世界教会協議会の論客が、人間中心主義からの脱却を迫る。訳者の岸本和世氏は「キリスト教神学は本来『人間中心』を超える視点を持つ」という。(日本キリスト教団出版局/B6判/1470円税込)
『夢を見て生きる』
ブルース・ウィルキンソン著(いのちのことば社、1,470円税込)


『ヤベツの祈り』の著者による「あなたの大きな夢を実現させるための、実践的で革新的な手引き書」。第一部は、「平凡という名の、なじみという地に住んでいる無名人が、自分の大きな夢を追いかける物語」になっており、第2部は、夢実現のための具体的なアドバイスが満載だ。(いのちのことば社/B6変/1470円税込)

                   


『詩篇講話』(上)(下)
北森 嘉蔵著
(新教出版社、各1,890円税込)

 本書のはじめに、東京神学大学教授・朴憲郁氏は、かなり読者に対して心配った特色を挙げています。  第1に詩篇は実存的に読み解くもの。第2に本書は通時的(歴史批評学的)ではなく共時的(現在のテキスト)解釈である。第3にイエス及び新約聖書の著者たちの視点を加えること。第4に日本の文化、宗教との対話の中で読む。第5にキリスト教史における教理や芸術などを通じて、詩篇の現代人に語りかけるメッセージを聞くべきである、としています。  著者は自己を事柄の外において眺める態度でなく、自分を事柄の中に入れて考えるという実存的な読み方を強調しています。また、詩篇の内容を2つに分けて、神賛美の詩と嘆きの詩にまとめています。「嘆きということは実存的に生きる時にしかでてこないことです。見物席では嘆きがないのです」(上巻22ページ)と言っています。  詩の味わい方は、著者が素朴に聖書を読んでいく時に、心に触れたことを各篇の中で小さなトピックに挙げて味わっていくという方法です。特に見物席に自分を置かない実存的な読み方の典型として詩篇22篇を重要視し、方法論としてはそれを鍵として詩篇全体を解こうとしておられるように見受けられます。「詩篇の中に大物と呼ばれるものがあるとすれば、この22篇はそれである」(上巻95ページ)と指摘しています。  このような態度で読むわけでありますが、全体の詩篇のそこここに組織神学者であった著者の本領が発揮されるように、神学的問題、あるいは時事的問題がひとつのトピックとして登場いたします。ここに本書の特色があります。  このようにして見ると、神学者としての著者が詩人たちの親交に参与した姿が自然にあらわれていると、みることのできる興味深い書物です。ご一読をお勧めいたします。(評・小林和夫=日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)
『日本の説教12武藤 健』
解説・赤星 進

 武藤健(1893-1974)は留学してハルナック、ティリッヒに教えを受け、青山学院神学部教授に就任したが1934年、改めて伝道者の召命を強く受け教授を辞任。日本メソヂスト三田教会、本郷中央教会で牧会し、活水女学院院長農村伝道神学校校長、日本基督教団総会議長などを務めた。(日本キリスト教団出版局/四六判/2700円税込)     
『健全なる預言の働きを導入する方法』
スティーブ・トンプソン著
 著者は「主は言われる」という預言の表現方法は勧めない。聖書の学びからの判断だが、かといってそのように預言する人々を公に戒めもしない。そのような態度で、啓示の解釈、預言の管理、偽預言者などと並び、預言の賜物を用いる人への警告にも言及する。(マルコーシュ・パブリケーション/四六判/1800円税込)
                   

『今井数一さんという人がいた』
日本基督教団部落解放センター編
(同センター発行、1,300円税込)

 本書の発行理由について、日本基督教団部落解放センター主事の角樋平一さんは「今井さんという人がいたことを一人でも多くの人に知ってほしいという一点に尽きます」と書いておられます。私もまったく同感です。  どこを読んでも、今井数一さんから生の声で語りかけられているような迫力に圧倒されます。そこには、部落差別問題とは何か、イエス・キリストによって信仰を与えられて生きるとはどういうことか、差別と闘うとはどういうことか、ということが、被差別部落出身でキリスト者だった今井さんの生の証言として語られています。  最初の出会いは1974年、部落解放キリスト者協議会の集会だったと思います。以後、同協議会の委員として親しくお交わりをいただき、今井さんに限りない優しさを感じていました。その優しさはこの本の中からも伝わってきます。  1981年3月、神戸ルーテル神学校卒業を前にした私たち神学生は香港の神学校で研修する機会を与えられ、日曜日には日本人教会で礼拝を守りました。その時、インドなどを訪問し、帰途についておられた今井さんたちと偶然出会いました。  礼拝後、日本人教会の人たちが昼食に呼んでくださいましたが、私は現地の従業員に対する教会役員代表の横柄で見下すような態度が気になっていました。その彼が歓迎のあいさつをしました。「自分たちはこの香港で日本人としての誇りをもって生き、子どもたちに日本人としての誇りをもたせるよう教育している」という内容でした。  その時、突然今井さんが立ち上がり、「その日本の中になぜ部落差別があるのか」と大きな声で言われました。今井さんは、「日本人の誇り」を口にするこの役員のうちに排外的で差別的なものを見ておられたのだろうと思います。一緒にいた学友は今井さんの激しさに驚いていたようですが、私にはたいへん印象的な経験でした。  限りない優しさと差別への激しい憤りをもった人、それが、私が知っている今井数一さんです。 (評・ハゲノ下照光=近畿福音ルーテル教会桔梗ヶ丘ルーテル教会牧師)
『命の泉を掘りあてる』
水谷恵信著(キリスト新聞社、1,000円税込)

 北海道余市市に恵泉塾を開き、全国から生きる力を求めてやってくる様々な問題を抱えた子どもたちを、聖書の学びによって生き生きと立ち上がらせている著者が、人を生かす聖書の言葉の力を紹介する。生きて働かれる神の自己犠牲の愛、寄り添う愛を、多くのエピソードが立証している。(キリスト新聞社/B6判/1000円税込)         
『第2次世界大戦後の牧会者たち』
C・メラー編(日本キリスト教団出版局、3,570円税込)

 「魂への配慮」を続けてきた、聖書時代から現代までの古今の牧会者たちの働きと言葉を通して紹介するシリーズの12。エードゥアルト・トゥルンアイゼン、シューアド・ヒルトナー、ヘルムート・タケ、カール・ラーナーらのほか、ロシア正教会の牧会者にも触れる。(日本キリスト教団出版局/四六判/3570円税込)
                   


『静かな風』
片岡 栄子著(いのちのことば社、1,050円税込) 評・笹岡 さおり
 あらゆる世代の女性たちに共感をもって読まれるにちがいない、そんなエッセイが、敬愛する片岡栄子さんの手によって著された。タイトルのごとく「静かな風」にのって運ばれてくる、著者の柔らかい語りかけを聴くように読み進めてしまえるのは私だけであろうか。  一編一編のエッセイはごく短くまとめてあり、日常のちょっとしたすきまの時間にでも読める。内容も難しいことは書かれていないので、さらっと読みとばせば、あっという間に1冊読み通すこともできるだろう。けれど、何気ない日常の出来事と、それにまつわる著者の思い巡らしのひとつひとつが、私たちに語りかけてくるメッセージは奥が深い。家事、子育てというどこにでもある日々の暮らしのなかで、あるいは夫婦関係、友人関係を通して見えてくる神の恵み。四季折々の自然の中でふと気づかされる神の臨在。「生活の中で主を発見する」とサブタイトルにあるように、著者が毎日の「普通の」生活の中でいかに主とそば近く歩んでおられるかがわかる。そしてそのことが、同じ「普通の」毎日を営んでいる「普通の」女性たちに「あなたにもできるのよ」とチャレンジを与えてくれるように思う。  また、このエッセイの特徴は、適材適所にあるさまざまの良書からの引用の多さである。私自身、その多くを著者自身から薦められて読んだのだが、今一度読み返してみたい、と、読書意欲を引き立てられた。1冊の良書との出合いが更なる良書との出合いを導いてくれるよい例となることだろう。  本書のなかにも出てくるように、著者は長年にわたり、今は天に召された夫君と共に、さまざまな、多くの人々を家庭に迎え入れ、温かくもてなしてこられた方である。片岡家のリビングで初夏の陽射しを浴びながら、お茶を片手に著者と語り合っているかのように、味わって読んでいただきたい1冊である。(評・笹岡さおり=湘南グレースチャペル牧師夫人)
『パウロのまねび』
石丸 新著
(聖恵授産所出版部、1,900円税込)

 パウロの手紙から「倣う(まねび)」をテーマに、神に、キリストに倣うとはどういうことか、その意味を解き明かす。トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』に触発されたという著者は「『倣う』の語の用法、その使信の奥行きと力とに目を見張らされた」と語る。                
『苦しい時は必ず過ぎ去る』
川端 光生著
(カレブ・ゴスペルサービス、630円税込)
 著者は「十二弟子もキリストを一旦見捨てた」のだから、「苦しみや悲しみから、逃げ出してもいい」とさえ言う。「降りて、逃げ出して、隠れて、泣きながら時を待ってもいい。その苦しみを通って、初めて真の生きる意味を知ることができる」と語る。
                   

『ポスト・モダン 世界のキリスト教』
A・E・マクグラス著(教文館、1,890円税込)評・赤江 弘之
 本書は、昨年5月に来日した折に行われた全講義の翻訳記録である。すでに邦訳されている多くの著書の背景を語っており、マクグラス神学の全貌を鳥瞰する内容をもつ。同氏は福音主義の立場に身を置きつつ、エキュメニカルに幅広い読者をもつ。表題のように、ポスト・モダン世界のキリスト教を論じつつ、21世紀のキリスト教のあるべき方向性を指し示す。  3部構成で第1部は@宗教改革の思想A教会と地域・市民社会B福音主義とは何かCポスト・モダン世界のキリスト教、の4講義。うちBとCが最も重要な内容である。Bの中で著者はイギリスを起源とする福音主義とアメリカの福音主義を論じつつ、日本の福音主義の独自性のあり方を問いかける。「神学の本質についての西洋的前提は、どの点において西洋以外の人たちの規範となるのでしょうか」(96ページ)。Cについては、「この講演で私は、キリスト者の信仰がポスト・モダンの時代においてもなお魅力と妥当性をもっていることを、皆さんと再確認しようとしてきました」(123ページ)と語る。  第2部は@現代キリスト教思想における自然科学の位置A科学と宗教。マクグラスはオックスフォード大学で分子生物物理学の博士号を取得した一流の自然科学者。同時にオックスフォードとケンブリッジで神学を学んだ経歴をもつ得難い存在である。ここでも著者は結論的に語っている。「この講演において探求してきた提案は、自然科学が、神学が世界に語りかけ、そして、信念体系の正当化と帰結に関わる生産的な対話に取り組むための、包括的な手段となるのではないかということです」(166ページ)。  第3部は@心と頭で神を愛する神学と霊性の関係Aチャペル・レクチャーである。特に、今話題の霊性について肯定的に論じる。  私は、本書が日本の教会の教職と信徒指導者の間で愛読され、広まりつつある福音に対する自信喪失感に歯止めをかける役割を果たすようになることを強く願っている。(評・赤江弘之=東京キリスト教学園理事長、日本同盟基督教団西大寺キリスト教会牧師)
『ソニーを創った男 井深 大』
小林 竣一著
(YWC、1,680円税込)

 世界的企業ソニーの創業者井深大について書かれた書物はごまんとある。本書はその中でも比較的最近出版された評伝である。大宅ノンフィクション賞受賞作家が膨大な資料を読み込み、また関係者に取材して執筆しているだけあって読み応えはある。  早稲田奉仕園、富士見町教会での信仰生活、山本忠興、野村胡堂、前田多門などクリスチャンとの親交、知的障がいをもって生まれた次女多恵子の影響で取り組んだ福祉活動、またそれにかかわって晩年に傾斜した幼児教育、ニューサイエンスなど。これを読めば、型破りだったクリスチャン井深大の全貌がわかる。                
『65歳から世界的企業を興した伝説の男』
藤本隆一著
(産能大学出版部、1,575円税込)

 「白い上下のスーツにステッキ姿、温和な笑みを浮かべながら店の前に立っている老紳士の人形」といえば、誰もが知っているケンタッキー・フライドチキンの創業者カーネル・サンダース。本書はそのカーネルの評伝である。  65歳で年金生活を捨て、事業を興し、世界で初めてフランチャイズ制度を確立し、同社を世界的企業に育てたカーネル。そのカーネルが米国アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に所属するクリスチャンだったことは、日本ではあまり知られていない。本書でも事業において現れた神様の直接体験、キリスト教に基づいたビジネス哲学が記されている。
                   

『愛情、あと半分は土と水とガラクタ』
東喜代雄著・フォレストブックス・B6判・1365円税込
子どものリズムで動く"幼児神学校"

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」(創世記12・1)。アブラハムは血肉の関係を超え、神様のこの命令に従いました。私には東園長の信仰がアブラハムの信仰とだぶって見えます。有名な檀家の長男だったのですが、洗礼と共に世継ぎの権利を弟に譲り、家を出ました。そして、今日までイエス様の後を追って揺らぐこともなく歩んできました。  東園長は機会ある度に幼稚園の父母や祖父母たちに福音をストレートに伝えています。その影響を受けてクリスチャンになった人が100人を超えています。私は個人的に東園長のような人が10人いれば日本の教会が大きくリバイバルされると思っています。  幼稚園の3つの目標の中の1つ目が神を恐れ敬うこと、と定められています。神様を知る時に人間の尊厳と生きる意味がもてると理解しているからです。主を恐れることを教えない教育は教育(知識)ではない、とも断言しています(163ページ)。もともと、この幼稚園を設立する時に幼児神学校、いわば聖書を教え、そこに示された人間の生き方を実践する学校にしたいと決心したそうです(180ページ)。教員も徹底的な信仰教育のために、設立の時から今日まで全員クリスチャンを採用しています。  だからといって、堅苦しくて宗教臭い幼稚園なのかというとそうではありません。いつも子どもたちが園庭で楽しそうに思い切り遊んでいます。生活の流れがゆったりしていて、子どものリズムで動いている幼稚園なのです(22ページ)。先生たちが統制しないで自由な遊びの中で自らが秩序を保ち、子どもたちの社会を形成しています。  この本は信仰生活と幼稚園運営の中で起きた様々な出来事を具体的に述べているので分かりやすく、信仰の道案内人で子女教育の指針書になると思います。この本を読む人は、間違いなく感激と喜びを味わえるでしょう。ぜひ一読を。 (評・河成海=単立・のぞみ教会牧師)
『ココロの奥が楽になる本』
石原良人著

 「孤独を感じる」「寂しい」「自分を愛せない」「自信が持てない」「怒りっぽい」…こんな人のいやしのために記された1冊。心理学的なアプローチだけでなく、聖書の土台から書かれている。著者は長年、「いやしと解放」をテーマにキャンプやセミナーを開催。実践に基づいて執筆している。(JCMN出版/B6判/1365円税込)                      
『ノアのはこぶね』
絵・文 いもとようこ

 旧約聖書に出てくる「ノアの箱船物語」(創世記6・5〜9・17)の絵本。箱船に集められた動物たちが、はり絵を用いた独特の手法で楽しく描かれている。ページいっぱいにあふれる温かみのあるイラストで、子どもにも聖書の話を楽しく伝えることができる。英語訳付き。(女子パウロ会/A4変/1333円+税)
                   

『聖書は女性をどう見るか』
稲垣緋紗子著(いのちのことば社、1,050円税込)

 本書はクリスチャン新聞に連載された「神のかたち――聖書は女性をどう見るか」というコラムに多少手を加えて、1冊にまとめたものである。  著者が意図したことは、旧新約聖書を通じて、聖書は女性について何を教えているかを探求することであった(本書「はじめに」を参照)。毎回、関連のある聖書個所を具体的に取り上げて、原語やその文脈に基づいて釈義をし、それに基づく見解を見開き2ページに簡潔にまとめて述べている。文章は平明で読みやすく、1回ごとに簡単に読めてしまうのが楽しい。  しかし、そこで語られていることは、普段読み過ごしてしまう細かい点にも注意しながら、聖書が女性についてどう見ているかを、明らかにしている。  著者はこの書の冒頭から一貫して、神は男と女を対等の立場に立つものとして造られたと述べている。その主張は、取り上げられた聖書の個々の個所から明らかにされるものであり、その総括として、「神の前での立場において、女と男は同等です。そのことが、とりもなおさず、教会生活、社会生活、家庭生活などでも女と男が同等であるということになって現れてくるはずです」(73ページ)と語っている。  本書の終わりの部分にはテモテの手紙第一、2章12節から15節までを取り扱った部分があるが(92―107ページ)、この個所は古来解釈が難しく、いろいろな議論のある個所であるが、著者はこれまでにない解釈を示して、新約の釈義に一石を投じている。  著者は国際基督教大学卒業後、聖書神学舎で聖書釈義を学んで卒業し、日本福音同盟女性委員など、多くの要職を歴任し、現在ご主人とともにパリで日本人のために伝道と牧会に従事しておられる。評者とはご主人共々親しく交わりをさせていただいている。本書を女性のみでなく、男性の方々にも、ぜひ一読されるようお薦めする。(評・山口昇=アレセイヤ研究所所長)
『神の国はあなた方のもの』
内田和彦著

 『山上の説教に見る幸いなクリスチャン生活』に新たに5章を加え、全面改訂した。イエスが語った真理を今日に生きるクリスチャンへの語りかけとして説き明かす。著者は「山上の説教は、それに応答する者に対して、真に『幸せなクリスチャン生活』のモデルとなる」と語る。(いのちのことば社/B6判/1365円税込)                               
『仏教からクリスチャンへ』
川口一彦編著

 本書は仏教徒からキリスト教徒へと改宗した5人のクリスチャンの証しが収められている。編著者は「仏教国と言われる日本で、日本を変え、日本が変わるのは、多くの方々が主イエス・キリストに立ち返ること」だとし、僧侶や仏教を極めたい人にも、ぜひ読んで欲しいと願う。(イーグレープ/B6判/525円税込)

                   

『イエス・キリストの受難』
ジョン・パイパー著
(いのちのことば社、1,470円税込)

 日本でも映画「パッション」が話題を呼んでいる昨今、実にタイムリーな本です。私自身、映画を見て、さてこの映画を見た教会外の人たちに受難の意味を理解していただくには、こちら側に聖書の深い真理をわかり易く伝えるための準備がかなり必要ではないかと感じていた矢先だったからです。『パッション ガイドブック 100のQ&A』(ドン・ボスコ社)がカトリック側から一般の書店にも出され、よく読まれているようですが、内容はもっぱら映画の場面にそったもので、受難についてはほんのわずかしか解説されていません。  ここにプロテスタント側から受難の深い内容を聖書の多くの関連聖句から平易に解説した本が出版されました。著者は、福音とは神学以前にグッド・ニュースであり、人々を永遠に幸せにする点、ベスト・ニュースであると宣言します。しかも、その十字架と復活の比類のないニュースの根底にある聖書の神学をだれにでも分かる言葉で、明快に説き明かしています。読みやすい、こなれた訳文のおかげでもあります。読んで燃やされる受難の徹底的な解説書です。  著者の視点は、だれがイエスを殺したのかではなく、どこまでもイエスの受難が世界のために、また私のような罪人のために何を成し遂げたのかにあります。50章に及ぶ受難の意味づけを通し、キリストの十字架のかけがえのなさ、尊さ、豊かさにあらためて圧倒されます。読み始めたら止まらない魅力に満ちていますが、主日ごとに1章ずつ黙想し、1年かけてこの1冊をじっくり味わう価値のある内容ですから、十字架のベスト・ニュースを相手の立場に立って、かつ大胆に伝えるためにぜひお読みになることをお薦めします。  なお、この本にはキラリと輝く名言が多くあり、中でも「究極の問いとは、自分はだれであるかではなく、自分はだれに属するかです」(23章「神に属する者とするために」より)は、今の時代にぴったりの至言といえるでしょう。
(評・菊山和夫=日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団大船神召基督教会牧師)
『ホントに、この人と結婚していいの?』
石井希尚著
 ベストセラー『この人と結婚していいの?』(岳陽舎)の続編。誰でも気になる男女の感情のすれ違いを、著者の夫婦生活で起こったことを紹介しながら、ユーモアを交え解き明かす。著者はTコリント13章の「愛の章」に表されているアガペの愛こそ、夫婦円満のための秘訣だと語る。
(主婦の友社/B6判/1365円税込)                                 
『主要教理別聖句ノート』
棚橋信之編

 本書は、神・罪・救い・キリスト者の生活など、キリスト教の基本的な項目を立て、それぞれの基本聖句、関連聖句を整理収集したもの。関連聖句を引照することで、聖書の視点を多角的に把握することができる。友人に聖句を贈りたい時や、CSの話、説教の準備の助けにもなる。
(いのちのことば社/A5判/2520円税込)

『恩寵の選び』
小山恒雄著
(いのちのことば社、1,260円税込)
評・畑野順一

 敬愛する小山恒雄先生の説教集『恩寵の選び』が出版されたことは本当にうれしいことです。小山先生は、1929年(昭和4)に会津若松に生まれ、終戦直後の花見遊興の際に出合った路傍伝道により導かれ、救われ(篠崎進治牧師により受洗)、献身して関西聖書神学校を卒業後、日本イエス・キリスト教団の西舞鶴、神戸西部、すさみを経て放出教会(現名誉牧師)に着任されました。その間日本イエス・キリスト教団委員長、ジョン・ウェスウレーに学ぶ会会長を歴任されるなど、関西のきよめ派の重鎮として活躍されました。  本書は、著者自身が神様のご恩寵によって選ばれ、牧会者としての長年の歩みから導かれた説教集です。読む者に信仰生活の最も大切なポイントが示されています。副題にあるように20の説教と使徒信条講解および自伝によって、神様のご恩寵とご計画について聖書を中心に語られています。  この説教集は、何と言ってもその読みやすさが大きな特色です。読みやすさとは、表現の平易さもありますが、それ以上に現代社会に生活しているキリスト者への接点を大切にしておられるところからきていると思われます。一つの事件とかトピックスではなく、人間中心時代の流れに対する、聖書(特に旧約聖書)からの恩寵のメッセージが端的に伝えられています(「主が不寝番をされた夜」など)。  もう一つのわかりやすさは、単なる説教の口述筆記ではなく、内容を項目別に整理して読み物としての配慮が十分に示されていることです。使徒信条の講解も、教義的な関心と共に、信仰告白への理解を深める招きが語られています。このことは、信徒ばかりではなく、教職者たちにも構成がわかりやすくメッセージの方向性が明瞭にとらえられる利点があります。  このよさは、地域での牧会者であり、礼拝での説教者であり、献身者への神学教師である著者が、絶えず求めておられたものではないかと思います。
(評・畑野順一=日本フリーメソジスト教団岸之里キリスト教会牧師)

『信徒の献身と献金の信仰』
鈴木重義著
 著者は献身と献金をテーマに30年以上も啓発に心血を注いできた。十分の一献金を「そうするべし」と押しつけるのでなく、聖書からその妥当性を説く。本書を通し、読者は自分自身の献金に対する意識を再検討することができるだろう。
(バプテスト・スチュワードシップ刊行会発行/いのちのことば社発売/四六判/1470円税込)                                   
『十字架の戦士』
サムエル・リー著

 高校生までイスラム社会で教育を受けた著者の伝道者としての半生。幼い時、十字架にかかった半裸の男の絵を見た時の衝撃、スペインのホテルで聞いた神の招きの声…。これらすべてが自分に、また自分のミニストリーで接した人々に、インパクトを与え続けていると語る。
(東京第一教会発行/B6判/1260円税込)

                   

『感染力の強いクリスチャンになる』
ビル・ハイベルズ&マーク・ミテルバーク著   評・三谷康人
                   (福音社、2,520円税込) 

最初に強い印象を受けたのが、17ページのビジネスからの教えでした。「企業は、もし長年にわたって成功しようとするなら、自分[企業]自身に目を向けることをやめ、自分の唯一の存在理由である顧客サービスに全精力を傾け直さなければならない」「組織の大小にかかわらず、組織は、ひとりでに内向きになる傾向があるのです」。この中の企業と組織を教会に置き換えて見ると、よくわかります。
 更に「外にいる人々に伝道すること・個々のクリスチャンも全ての教会も、神様が私達にお与え下さった目標、つまり霊的な迷える人々に焦点を合わせ直す必要があるのです。・クリスチャンの輪の外にいる人々を私達が重んじ始める時にのみ、私達は真に満たされ、神様の御摂理に従って機能するようになります」と。
 そのために、一人ひとりがクリスチャンでない人たちに強い影響を与える感染力の強いクリスチャンになるための方程式が提示されています。
 HP「強い効力〈感化力〉」+CP「接近」+CC「明瞭な伝達」=M1「最大限の感化」
 @強い感化力=前提条件は表裏がなく思いやりがあり、人のために時間や金銭を犠牲にすることA接近=信仰のない人々との付き合いを広げ、人間関係を築き、あなたの賜物に合った仕方を探し工夫してあげることB明瞭な伝達=メッセージをはっきり伝える方法を工夫し、伝える相手の霊的成長のために祈り、聖書を読み、ほかのクリスチャン、クリスチャンでない人と交わること。最後に相手に信仰の境界線を越えさせてあげること。
 終わりに「感染力の強いクリスチャンと教会」の特徴が15挙げてあります。要は、クリスチャンでない迷える人たちへの伝道を最優先し、彼らとの関係作りをし、伝道するための革新的な新しい方法を取り入れようとしていることです。
 以上のことが具体的事例を挙げながらわかりやすく書かれており、日本の外向き伝道のために非常に参考になります。
(評・三谷康人=元カネボウ薬品株式会社会長)

『ほんとうに
たいせつなもの』

マックス・ルケード編

彫刻家エリが教えてくれた自分の存在の尊さ。パンチネロはその大切なことを流行の箱集めに心を奪われ、すっかり忘れてしまった。さて、その結末は…。『たいせつなきみ』に続き人気が高い本書も、コンパクトサイズのヤングアダルト版になった。セルジオ・マルティネス絵・松波史子訳。
(フォレストブックス/B6変
            1260円税込)
                                        
『内村鑑三』
富岡 幸一郎著

「日本の説教」シリーズ第3巻。無教会主義キリスト教の伝道者内村鑑三の、平和、復活、武士道、聖霊などを主題にした16篇の講演、聖書講義を収録。日露戦争に際して非戦論を唱え、第一次大戦後は再臨運動を展開した内村の思想のエッセンスが込められている。
(日本キリスト教団出版局/四六判 2520円税込)

                   

『悟りと救い』
藤井圭子著(一粒社、1,365円税込) 評・内田みずえ


うすい小豆色の表紙に、3人の凛とした尼僧が一列に並んであるいています。毛筆のような字体で書かれた「悟りと救い」。キリスト教の書物としては珍しい雰囲気を醸し出しているこの本は、かつて若き尼僧として絶対的な真理を求めて、仏教の厳しい修業と学問の世界に身を置かれた藤井圭子先生が、2つの願いを持って書かれたものです。すなわち、仏教徒の方々にとって自己吟味の時となり、真理への求道の良き機会となること、そして、キリスト者にとっては仏教についての正しい知識と理解を得、仏教社会の中で、自分たちに託されている使命を再確認すること。
 「真理の探究」、「道、真理、命」、「創造主と非造物」、「日本の仏教」、「日本仏教の諸事情」から成る5つの章は、3つの撚糸によって織り成されております。藤井先生ご自身や周囲の方々がイエス・キリストによる救いにあずかるお証し。日本仏教の歴史的背景、現状、中心的教え。聖書の教えの確かさ。この3本の糸が藤井先生の巧みな手によって織り上げられていくと、驚き、感動、納得、新発見、再確認の図絵が次々と浮かんできます。
 「仏陀」とは、「悟った人」という意味であり、人間をもお造りになった創造主なる神様とは全く違うこと。
 「焼香」は死者の死臭を消すのが目的の一つであり、ブッダの教えにはなかったのに、死者を拝む行為とほとんど同義語になったこと。
 「戒名」は在家信者が、ブッダの定めた戒律を守った証明書として、僧侶から与えられるものであること。
 「位牌」とは紙に書いてある戒名を本人の死後、枝に書き換えたものであること。無限にあると言われる仏教の教え。私の仏教の知識は「九年の一毛」とおっしゃる藤井先生。その中から、私たちが知るべきことをよくぞ1冊の本にまとめてくださいました。
 仏教的環境の中で、伝道に困難を覚えていらっしゃる方には、特に、必読の書です。
(評・内田みずえ=聖書宣教会教師)
『メシアニック
    ジュダイズム』

ダニエル・ジャスター著
(マルコーシュ・パブリケーション2,835円税込)



 本書の目的はユダヤルーツの神学を提供すること。ユダヤルーツとは、聖書の文脈に即して理解することにより聖書的神学を築くことで、メシアニックジュー運動は「従来の信仰から逸脱する異端的なものでなく、使徒たちが理解した信仰の源流を提示するもの」。(マルコーシュ・パブリケーション/B6判/2835円税込)
                                        
『ママの手 催眠術みたい』
松居 直編
(女子パウロ会1,400円税込)
     

私立幼稚園の保護者や先生むけの月刊「PTA新聞」(全日本私立幼稚園連合会発行)の「育ての心」「子どもの目・つぶやきことば」から抜粋。後者は、子どもがふと漏らした無邪気な言葉の投稿で人気のコーナー。
子どもの裏表のないさわやかな一言に思わずほおがゆるむ。
(女子パウロ会/四六判/1400円税込)


                   


『イエスのように』
マックス・ルケード著(いのちのことば社、1,680円税込)
                            評・日高 恵


アクターズスタジオインタビューというテレビ番組がある。周知の通りアクターズスタジオはニューヨークの俳優養成学校の老舗だ。内容はハリウッドスターを招いての対談だが、最後に必ず「10の質問」コーナーがあり、その中の一つに「天国に行ったら神様になんと言われたい?」というものがある。ハリウッドスターたちは、時にジョークを、時にはシニカルにこの質問に答える。さて、キリスト者の私は、「どう答えようか」と考える。
 本書は、題名の通りイエスのように生きる道を示唆する。イエスのように変えられていく、聖くされていくための具体的な気付きを与えてくれる。本気でキリストに生きること、キリストのようになること、主と同じ姿に変えられていくこと。クリスチャン生活も幾年か過ぎると、ほどほどのところで守りに入ってはいないだろうか。毎日きちんと、キリストのように生きることを渇望し、心がけているだろうか。ありのままで受け入れて下さった主に応えるために、100%を差し出して生きているだろうか。読み終わって私は、やはり「なまぬるい」自分の生活を認めなくてはならなかった。ルケードは実にわかりやすい例話をたくみに用いて、私たちが変えられていくべき「心」について切り込んでくる。赦す心、あわれみ深い心、正直な心、汚れのない心、喜ぶ心…等々。本気で取り組むべき一事はこれ以外にないかもしれない。イエスのようになれるなら、あとのものはすべてついてくるはずだ。
 もう一つの魅力は翻訳のすばらしさである。読み手に「翻訳もの」のストレスを全く感じさせない。滑らかな日本語のリズムと機知に富んだ語彙のセンス。ルケードの熱意は、この翻訳によって多くの日本人を励ますだろう。
 「天国に行ったら神様になんと言われたい?」本書の示唆を実践していくとき、あるいは天国で「よくやった、良い忠実なしもべだ」(マタイ25・21)と、神様に言ってもらえるだろうか。
(評・日高 恵=女優、J's倶楽部代表)
『天国の宴会』
矢口以文著
 (英宝社、1,890円税込)


平和の詩集である。
だが決して「穏やかな」ことばでつづられてはいない。平和を願う1人のクリスチャンが、戦争を起こす者たちに、わかりやすくも心にずしりと響くことばで抗議している。時に激しい口調の散文詩は、著者の暴力を否み平和を愛する心からの力強く静かなメッセージだ。
(英宝社/A5判/1890円税込)
                                        
『イエス 神のデザイン』
佐伯 晴郎著
(キリスト新聞社、
        1,470円税込)


 著者はイエスの全体像、思想、中身そのものが神のデザインであるとし、「ガリラヤのイエス」「いやしのイエス」「エルサレムのイエス」「教会のイエス」「人間の永遠な同行者イエス」の5領域からイエスの実在を解き明かす。「私にとってイエスとは何か」を問いかけながらつづる。
(キリスト新聞社/B6判/1470円税込)


                  


『科学史の中のキリスト教』
    標 宣男著(教文館、1,680円税込) 評・中山良男

著者は、熱流体力学、そして安全性に関する分野で30年以上にわたりプロの科学者として活躍した経歴をもつ、いわゆる理系の考え方に精通したキリスト者である。
理系のキリスト者の常として、科学とキリスト教の関係をどのように考えていくのがよいのかという問題に必ず行き当たる。
 筆者も例外ではなく、「宗教と科学の関係は、科学技術研究に携わる者にとって、極めて実存的な意味合いを持つ」と語っている。現在は文系の大学で科学技術の講義を担当しており、その準備の意味もあって、古代ギリシアから現代までの宗教と科学の歴史を研究している。
 本書は科学史であることから、人名が多いことは当然であるが、200人以上の哲学者、神学者、科学者の名前、その人々の思想・理論が一つの書物の中にこれほどまでにちりばめられている著作も少ないのではないか、と思わされた。
それでいて、網羅的に陥ることなく、相互に関係をもたせながら、要領よくコンパクトに整理されている。著者の力量に脱帽する。
 また聖学院大学宗教センターの「キリスト教と諸学」に収められた6編の論文が初出典であることからもわかるように、内容は専門的である。神学、哲学、そして科学の用語が多数登場する。しかしながら、丁寧に読んでいけば、理解できるようにも記述されている。
 特徴として、著者が西欧中世、そしてその時代の科学に特別の思いをもっているところがある。これは、第2章「西欧中世のキリスト教と科学」だけでなく本書を通して見受けられる。我々は、科学革命の前史として、中世の科学と宗教の関係を深く知るべきであると感じた。
 なお第6章は、現代科学の最新理論とキリスト教神学の関係を考察している。副題にある「カオス理論」は複雑系の科学の一部分であり、英国の神学者ポーキングホーンが採用している科学理論である。本書では、ポーキングホーンによる神学的解釈だけでなく、著者による検討結果が述べられており、大変興味深い。
(評・中山良男=東京基督教大学非常勤講師)
『地の果てまで』                 
藤巻 充著(日本ホーリネス教団、1,890円税込)

著者は本書を「使徒行伝のバイブルリーディング」と言う。ペンテコステから始まり教会が発展していく、その全体像をつかむことができる。「聖霊は次々と宣教の場所を備えて下さいました。迫害、問題、紛糾のただ中で御業は進められていきました」と著者は語る。(日本ホーリネス教団/四六判/1890円税込)                             
                      
『神の国はあなた方のもの』
内田 和彦著(いのちのことば社、1,365円税込)

『山上の説教に見る幸いなクリスチャン生活』を全面改訂。初版では意味が明瞭でなかったところを書き直し、扱いきれなかった個所を補った。初版から10年を経て、例話も現状にふさわしいものに差し替え、聖書からの引用を新改訳第三版にそって修正した。
(いのちのことば社/四六判/1365円税込)
                    
 

『ダイヤモンドの光』池田 博著
          (本郷台キリスト教会、1,200円税込)

「私は最初の開拓期、2年目以降人々が救われない、教勢が伸びない中で、自分自身、牧師としての資格があるのか、牧会する力があるのだろうかと試されました。この経験は私にとって大きな転換点になりました」
 神奈川県横浜市栄区にある福音キリスト教会連合・本郷台キリスト教会の池田博牧師は、同教会が今年、創立40周年を迎えるに当たり、その草創期から平和台チャペル献堂(77年)までの歩みを記した『ダイヤモンドの光』(発行・本郷台キリスト教会)を出版した。
 同教会は1964年、「自宅を祈りの家、伝道の拠点として主に用いていただきたい」と願う信徒の家庭集会としてスタート。日本の文化、地域になじもうと務めた宣教師夫妻の種まきにより、土台が築かれたという。
 池田博、登喜子夫妻の赴任は69年。その後池田氏は、行き詰まりからの脱皮経験を経て、教会の自給と会堂建築を目指すためちり紙交換の仕事をするようになる。賛美歌を流しながらトラックで教会周辺の町を回るくだりは興味深い。地域の人たちとのつながりができ、さらに教会の成長、チャペル献堂へと進んでいく過程を知ることができる。本書を通し、進路、会堂建築の決断など、現実の事々の中で神がいかに人間の祈りと信仰に応え、働いてくださるかも教えられる。4月18日には40周年記念祭が横浜市栄区の栄公会堂で開催されたが、その時は平和台チャペル後のダイヤモンドチャペル献堂に至るまでの証しが語られた。第2部の発行が待たれる。

『使徒的共同体』
芳賀 力著(教文館、2,940円税込) 評・荒瀬牧彦

自由な民主主義社会が政治的制度として整えられ、経済においても市場における競争が保証された自由主義経済であれば、人間は最も幸福に生きられる・。そんな幻想を打ち砕く悲しいニュースをメディアは日々伝えている。
 身の周りでも、真面目に働いてきた人のリストラによる解雇、生活苦、家庭内暴力や家庭崩壊、強度のストレスが引き起こす精神的疲弊と病、学校での学級崩壊や暴力といったことが、津波のように押し寄せて来ている。
 極端な個人主義の中、共同体への帰属を失った個人が、弱肉強食社会の中で擦り切れ、欲望消費社会の中で自分が何者かわからないまま衰弱していく。
 一方、このような道徳的危機にあたって権力者たちは「国が国民に道徳を示す」必要を説き、上からの統制で再び箍を締めようと目論む(文部科学省の『こころのノート』配布を見よ!)。
 著者は言う。「大きな社会には美徳のない誤りがあり、古い共同体主義には誤った美徳がある。どちらも人間にとっての善き生を実現するものではない。では今何が必要なのだろう。それは、この大きな社会の中で功利的個人主義を乗り越える善き生の構想を提示しうる、普遍へと開かれた美徳の共同体を形成することである」
 本書は、自由至上主義との論争においてマッキンタイヤー、ベラーら共同体論者が語った洞察に耳を傾けることから始まる。その結論は、個の自由と尊厳を重んじる美徳を持った社会を作り支えることができるのは、善き生への構想と、新しい共同的アイデンティティーの母胎となるナラティブ(語り)を持った共同体であり、教会こそまさにそのような共同体だという確信である。
 今、何をなすべきなのか。著者の答えは非常にオーソドックスでシンプルだ。「教会が真に教会であること、教会を教会たらしめている聖書的語りによって頭の先からつま先まで個性化され、性格づけられ、方向づけられることである」
(評・荒瀬牧彦=カンバーランド長老キリスト教会めぐみ教会牧師
『シンポジウム第4回「地方伝道を考える」報告書』
共著(北関東神学研修センター420円税込)

都市への集中と地方の過疎化の問題を抱える日本の教会の現状の中で、地方教会の活性化なくして未来はないと危機感をもった有志が毎年開催してきたシンポジウムの、昨年8月に開催された第4回の報告書。北陸や北関東の事例研究、家の法社会学的問題、キリスト教葬儀についての提言、神学教育と地方伝道など多様な視点から「自立と連帯」を探る。
(北関東神学研修センター/A5判/420円税込)

                             
日本の説教10『植村 環』
解説・久保義宣(日本基督教団出版局、2,520円税込)

日本の説教シリーズの第10巻。植村環はこのシリーズ既刊の『植村正久』の3女。親子での採用は唯一だ。父、正久の志を受け継いで、開拓伝道に従事した。女性らしい丁寧で、柔らかな語り口調の中にも、力強くはっきりもの申す姿勢が読みとれる。
(日本キリスト教団出版局/四六判/2520円税込)

 

『何という愛』
コーリー・テン・ブーム著(いのちのことば社、1,260円税込)
 評・鈴木やす子


 コーリー・テン・ブームは、第2次世界大戦中ユダヤ人をかくまったことでナチスの強制収容所に送られ、家族を失い、自分は奇跡的に解放されたオランダ人女性である。
 独房に4か月間、さらに釈放されるまで労働強制収容所で地獄のような体験。収容所で亡くなった姉に与えられた神の導きと、著者の祈りにより、釈放後64か国を旅し、神の愛を伝えてきた。
 病気、問題、困難の中にある人たちや、生死の看護に携わっている人たち、また何かに捕らわれている人たちにとって、性、国籍や年齢を超えて、本書は具体的な励ましと解放を与えてくれる。
 本書は過去に出版された2つの本を1部と2部に分けて、1冊にまとめられている。「イエスが心にかけ、慰めてくださる」が第1部で、第2部は「イエスは捕らわれ人を解放してくださる」の47話から構成されている。
 教えられることは、彼女の御言葉の分かちあいが難しい教理や哲学でもなく、また想像や感覚でもなく、生きた現実であることである。そのことを彼女は「イエス様は天におられ、同時に私たちとともにおられる! 理解することはできないが、それは事実である。私は、人類がつくり得る最も深い地獄でイエスさまの実在を体験した。実際に聖書の約束を試してみた。それらは本当に信頼に足りるものであった」と証ししている。
 彼女は何度か死に直面したが、死の恐れが襲った時、神の約束に明け渡すことのほうを選択していることである。その恐れをイエス様にお話し、御言葉の約束を信じた。
 また、著者が旅行中に出会った人に友人のように深く、かつ大胆にかかわっていることに驚くが、神をパーソナル(個人的)に知っているからであろう。
 実際に「収容所」のような体験がない私たちも、日常の生で、神の御言葉の約束を試してみることが出来る。
(評・鈴木やす子=国際ナビゲーター主事)
『新しい追悼施設は必要か』
国際宗教研究所編(ぺりかん社、2,730円税込)


靖国神社に代わり、誰もがわだかまりなく戦没者を追悼し、平和を祈念する「国立の無宗教の施設」ははたして可能か? キリスト者の間でも意見が分かれる問題に、宗教学者、宗教社会学者、宗教哲学者、神道学者、文化人類学者や、真言宗、立正佼正会、創価学会の論客らが挑む。
(ぺりかん社/四六判/2730円税込)
『み言葉のわかちあい』
グスタボ・グティエレス著(日本キリスト教団出版局3,780円)


 「解放の神学」で知られるラテンアメリカの神学者による主日の聖書黙想。貧しい人々や抑圧された人々と共に歩もうとした著者が、聖書をどう読んだのかがうかがえる。訳者の林巌雄氏は「解放の神学は、解放という行為による功績思想や行為義認の教えではない」という(日本キリスト教団出版局/A5判/3780円税込))

『権威と服従』
宮田光雄著(新教出版社、2,730円税込)


  この書評を、ニューヨークを出て春の雪の中、コネチカットの海岸を走るボストン行き特急の中で書いている。列車はエール大学の町、ニューヘブンに停車した。ここ出身の明治初期宣教師2人の十戒・ローマ書解説が第1章にある。教会は2人の真っ当な聖書の教えから反れて行く。日本流と自由主義神学が未熟な日本教会をつぶした。日本近代教会史は、国家神道政教一致体制下での苦悩の歴史である。
 この書はローマ13章冒頭の読まれ方を軸に、克明な資料でその苦悩を浮き彫りにする。教会が聖書を歪めた悔い改めを迫られる。この分野での必読書である。
 だが限界がある。特に序章。聖書信仰の読者には要注意だ。神学的に新正統主義に偏っている。「教会と国家」のテーマを扱いながら、A・A・ホッジやアレキサンダーやサイミントンのキリスト仲保者王権論(力の王権と恵みの王権)が言及されず、初期宣教師の背景である英米神学の視点がこの書には実質的にない。聖書の「契約と王権」そして「メシヤが教会と国家に君臨する権威の構造」を神学的に捕えると、教会と国家との関係を論ずる枠組みができ、新正統主義の歪みも見えるが、この書は単にバルト礼賛で終わる。
 新正統主義以外の長老主義神学をファンダメンタリストと切り捨てる高倉・熊野以来の教団系の偏見は困ったものだ。戦時中在満の神学宣教師が日本の宗教政策に関しローマ書13章を論じた論文がウエストミンスター神学雑誌にあるが言及されない。釈義の本でもない。
 しかし近代日本教会史をローマ書13章というナイフで骨まで切り裂き、克明な資料で示したこの労作の価値は不変である。列車が着いたボストンの改革長老教会で、一老牧師が第二戒の説教をした。人は神の形(イメージ)と説き起こして偶像(イメージ)礼拝の欺瞞を深くえぐった。この書にあるコネチカット出身宣教師の明治初期の教えの通りだ。今もニューイングランド・ピューリタンの中で説教されている聖書的正統信仰が、日本でも教会の基礎として語り続けられねばならなかったのだ。
(評・瀧浦 滋=改革長老・岡本契約教会牧師)
『大切なあなたに贈るメッセージ』
内藤智裕著(ジーザスゴスペル企画、250円税込)


 イエス福音教団仙台教会牧師である著者のメッセージ。「本物の幸せ」「生かされている」「人の祖先は、本当にお猿さんですか?」「善人か、悪人か?」「天国には入れない?」など全8章。わかりやすくストレートな内容。信仰をもっていない家族や友達へのプレゼントにいい。(ジーザスゴスペル企画/A5判/250円税込)
『神様のこどもたちへ』
松浦 謙著(新教出版社、1,890円税込)


 礼拝で子どもの視点に立ち分かりやすく福音を伝えるためのヒントや材料を提供する教材。子ども向けの説教が教案の展開例として紹介されている。カトリック教会の典礼歴に沿って全週分の朗読個所を解説。3年周期で福音書の主な個所が朗読できる配分表が、3巻目の本書で完結する。(新教出版社/四六版/1890円税込)

『恩恵の光と自然の光』
春名純人著(聖恵授産所出版部、2,800円+税)


 本書は、著者の前著『思想の宗教的前提―キリスト教哲学論集―』刊行(93年)以来の、論文・講演・講義・共同研究などを集成したものである。書名の「恩恵の光と自然の光」が、本書のみならず著者自身の長年の信仰・研究・弁証を貫く根本テーマを物語っている。それは「キリスト教の独自性を破壊することなく、すなわち『総合』(synthesis)に陥ることなく、同時に他宗教との対話の原理を拓くこと」(本書「まえがき」4ページ)である。換言すれば、恩寵は自然を「補完する」(スコラ主義自然神学)のでも、「破壊する」(信仰一元論的神秘主義)のでもなく、むしろ「回復する」という宗教改革的立場を具体化し、徹底化することである。
 本書は2部から成るが、第1部は「キリスト教世界観―敬神・愛人・慈地―」と題され、3章を含む。ここでは基本的に、キリスト教を宗教改革的立場の発展としてのA・カイパー、H・ドーイウェールトらの「ネオ・カルヴィニズム」路線において受け止め、全実在に対する世界観として理解するほどの壮大なキリスト教理解を提示している。神・人(共同体と個人)・世界(人間以外の被造物)を、それらの固有性に則してきめ細かく、しかし、それらを一全体として包括的に見、考えることのできる視座が明確に、雄渾に語られる。
 第2部「恩恵の光と自然の光」は4章を含んでいるが、2つがE・ブルンナーの弁証学における重要課題(接触点、神の似像など)、およびブルンナ―とK・バルトの自然神学a論争についての論考、1つがJ・ヒックに代表される宗教多元主義の批判的研究、1つがM・ルターの宗教改革運動とその思想とについての評価と問題指摘である。
 キリスト教宣教と弁証は同じ事の両面だが、他の立場への積極的なかかわりには、同時に批判的洞察が不可欠である。本書は、人と世界に対する温かい眼差しと(今日軽視されがちな)それらに巣食う罪に対する鋭い眼力との統合を示そうとしている。
(評・市川康則=神戸改革派神学校教授)
『栄光のモデル教会建設』
吉山 宏著(グロリア企画、1,500円+税)


『人生まだまだ』に続く第2弾で、著者の牧会する小岩栄光教会創立50周年記念事業として出版された。著者は「日本の教会はバランスのとれた栄光の教会として成長することが大切」だとし、「モデル教会建設で、まず私たちが目指すべき目標はクリスチャンの成長」だと語る。
『宗教法人こんなときどうするQ&A110』
佐藤 丈史著(いのちのことば社、2,400円)


 教会の宗教法人設立とその運営方法、宗教法人になる意義などをQ&A形式でわかりやすく説明。素人ではなかなか理解しにくい法人事務の手続きも、図や表を多用して理解を助けている。「法人事務をつまらないことではなく、『証し』としてとらえてほしい」と著者は願う。

『トゥルニエを読む(上)』
工藤信夫著(あめんどう、1,600円+税)


 P・トゥルニエは、スイス人の医師、精神療法家で、患者との人格的触れ合いを重視する「人格医学」を提唱し、キリスト教的人間理解に大きな貢献をした。
 表題からすると解説書のようだが、トゥルニエの著作は「百科事典」と言われるように、その思索はあまりにも広く深いので案内役を必要とする。精神科医の工藤信夫先生が、10年前より主宰している「トゥルニエ読書会」のレポート(生の証言)を紹介しながら、深い人間理解と洞察で多角的に描いている。
 ようやく日本経済に明るさが見え始めてきたが、長い不況とリストラによる閉塞感と急激な変化が心に不安を与えている今の時、本書は次の理由からお薦めしたい1冊である。
 @人生をライフステージでとらえ、その時々の生き方の道標が示されている。特に「人生の秋冬」の記述には、目が開かれ、今までの生き方を変える力がある。
 Aトゥルニエはいつも人生を成長と成熟の視点からとらえており、しかも「神との冒険」であるとし、キリスト者を縄目から解放し、わくわくするような生を与えてくれる。
 B臨床家として、日常生活の視点からの社会的分析が鋭く、特に「力の論理」を厳しく批判しており、社会を見る眼が養われる。
 C成功主義に支配されている私たちは、病気、失敗、挫折をマイナスに
考えがちであるが、むしろそれらは人生を豊かにするものであると主張し、慰めと勇気を与えてくれる。
 本書の最後に、トゥルニエの生き方に深い影響を与えた「黙想」についてまとめられている。「黙想」は、私もトゥルニエとの出会いを通して数年前より実践しているが、日々の忙しさの中にも、召しととりなしの気づきや、静かな心へと導いてくれる。
 本書を友人に紹介したところ、早速「これほどまでに心の奥深い処を揺さぶり、キリスト者として希望をもって生きる指針を与える本に久しぶりに出会った」とメールをいただいた。
(評・吉田 博=東京三菱銀行健康相談室室長)
『傷つきやすいあなたへ』
木村 藍著 (文芸社、1,100円+税)


 うつ病と診断されたクリスチャンの著者が、同じ病に悩む人々に向けた22編の短い使信。著者自身の苦渋の経験から、「うつ」を治さなければいけないものという発想を転換し、自分の一部として受け入れ、肯定的に受け止めることを示唆する。うつは必ずしも不幸ではないという。
『がん哲学』
樋野興夫著(to be出版、762円)


 がん病理学者である著者は、がん細胞の特徴から人間社会の病理を見る。これまで大学医学部や市民講座で語ったがん関連の講演記録などから編集した。新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄を信奉する著者は、「がん哲学」の試みが、時代の教養の大胆な追求の場になればと願う。

『ヨセフの見た夢』
遠藤嘉信著 (いのちのことば社、1800円+税)


 父ヤコブに溺愛されて育ったヨセフは、自分の見た夢によってエジプトへ売り飛ばされてしまいます。また、そのエジプトでは、夢の解き明かしによってナンバーツーの権力者に任命され、一躍時の人とされてしまいます。まさに波乱万丈の生涯です。しかし、そのような浮き沈みの激しいヨセフの人生をしっかりと支配していたものがありました。神の摂理です。神のみこころとも表現できる摂理をテーマにすえてキリスト教信仰の光の中でヨセフの生涯を俯瞰したのが本書『ヨセフの見た夢』です。
 著者は、聖書神学舎で学び、米国と英国で研鑽を積み、特にヨセフ物語の研究によって博士号を取得した旧約研究者です。本書は、その研究を基盤にしつつも、さらにその上に5つの視座を据えてヨセフ物語を読み解こうとしています。5つの視座とは、@旧約聖書の他の書物A新約聖書B著書自身の信仰経験C他のキリスト者の信仰経験D今日の社会状況との関連、の5つです。これらの視座からヨセフ物語を読み解こうというのです。
 たとえば、食料を求めてエジプトにきた兄弟たちに自分がヨセフであることを告白する場面を取り扱っている「神は」(創世記45章)の章では、▽哀歌や伝道者の書からの聖句引用▽コリント人への手紙からの聖句引用▽教会での「つまずき」の例示▽ジャクソン米国第七代大統領の告白▽感情に流されることの多い社会状況への言及、などによって議論を展開させています。そして、人と人との真の相互理解は、神の御前にあってこそ真に達成されるものであり、神の摂理を知り神の摂理を認めて生きる者に与えられる恵みであるとの結論が導かれています。
 本書は、私たちに、ヨセフ物語の神が今日の私たちをも豊かに導く神であることを教えてくれます。それだけでなく、混迷する価値多元の現代社会において、今日のキリスト者がどのように生きるべきかについても明確な答えを与えてくれています。
(評・佐々木哲夫=東北学院大学教授・宗教部長)
『愛の便りLove Letter』
卞在昌著 (小牧者出版、定価882円)


著者はこの本をクリスチャンでない人のために記した。やさしさ、おもしろさを取り入れ、直接聖書のみ言葉に触れられるよう配慮したという。セクションごとに理解度を確かめる問題もあり、自分で書き込みながら聖書を学べるテキスト式になっている。既刊「愛の便り」の和英対訳版。
『枯れ木にいのちの水流れて』
金守珍著 (いのちのことば社、1500円+税)


ソウル刑務所の収監者に福音を伝える金牧師。きれい事ではすまされないありのままの体験と、そこで救われた囚人の生き様を描く。神に救われた死刑囚が、その感謝を叫びながら刑を受ける。著者は、聖霊の生きた働きがいかに驚くべきものであるかを語る。

『恵みの地』
スティーブ・マクベイ著
尾山謙仁訳(ファミリーネットワーク、1,200円)


  「今日の説教は恵まれました!」「たくさんの恵みをいただきました」。そのような言葉がよく教会では交わされます。素晴らしい言葉です。しかし物事を「斜」に見てしまう私は、すぐに頭の中でいろいろと考えてしまいます。「今日は恵まれたとか、この前は恵まれなかったとか。そもそも恵みってそんなヨーヨーみたいに上がったり落ちたりするような不安定な、不定期なものなんだろうか?」ということを。本書はそのような私の疑問に、優しく(?)厳しく教えてくれます。
 スティーブ・マクベイ氏の「恵み」シリーズが第3作目ということは、それだけ多くの人が「恵み」に飢えているということでしょう。「恵み」という言葉の本来の意味を「教会」は持ち合わせていなかったのではないか、という裏返しかもしれません。
 私は常々、アメリカの聖書学校で「何を学んできたのか」と聞かれたら、それは「恵みについてです」と答えてきました。日本に帰って牧会に携わり3年目の私は、そんな「神様からのフリーギフト」である恵みを忘れ、神様との関係より教会の組織化、努力、正論で人を刺すということをやり続けてしまったことに悲しみを抱いていました。
 このシリーズを読ませていただくのは初めてですが、この『恵みの地』は決して「優しい本」と評することはできません。むしろ、私たちの今までのあり方を「破壊」する本という方が適当でしょう。当てつけではなく、自分自身のあり方の中にいつのまにか染みついてしまった「恵みと相反するもの」に気付かせてくれるからです。その意味で、私たちにとって痛い本かもしれません。
 この第3作に関して一つ苦言を言わせていただくとすれば、「恵み」そのものが深くわかるというより、今の自分がいかに「恵み」とは違う歩みをしているかがわかる書物だということです。ですからなおさら、第1、第2作を読みたい! という「逆説的」効果があるのかもしれません!
(評・下川義明=日本バプテスト連盟・仙台北バプテスト教会牧師)

『世界宣教の展望』
ラルフ・ウィンター スティーブ・ホーソン編
倉沢正則/日置善一訳(いのちのことば社、1,050円)


 昨年のクリスマスに翻訳、発刊されたばかりの『世界宣教の展望』は21世紀の学問とさえいわれている「宣教学」の学際的な性格を生でわれわれに披露してくれる貴重な文献であるといえよう。
 しかし、これは1人の著者が一貫性を持ったテーマのもとに、現代的な課題を取り上げ、理論的枠組みを構築し、仮説をたて、データを収集し、分析し、仮説を検証、結論を引き出したうえで、その1冊を読者に丸投げして評価を問うという筋合いのものではない。J・ ストット、W・カイザーなど著名な学者による聖書的論述をはじめ、R・ウインター、R・ヒーバート、E・ナイダ、D・マクギャバランなど馴染みのある著者の論説が、歴史的、文化的、そして戦略的など様々な視点から編集された論集である。これらは100編に近い膨大な論集の中から訳者の手で摘出され、読みやすい訳文で、239ページに手際よくまとめられている。
 日本語版は92年の論集(改訂版)から訳されたもので、99年にはその改訂版が同じタイトルで出版されている。ただ副題が`A Readeraから`The
Notebookaに変わっただけである。改訂を重ねているこの論集には、読者の研究源にもなる文献紹介(注)があり、「研究のための質問」も学徒に親切な編集構成である。
 多角的な視野を持つことが要求される今日の宣教という観点からすれば、それぞれの論文を各論的に理解すると同時に、全体を総括的に把握する必要があろう。そういう意味において『世界宣教の展望』は、ミッシオ・デイを意味するミッションと、それを実現するためのミッションズを機能的に関連づけ、キリストの教会において神学と宣教学を複合的に稼働させるためのアジェンダが隠されている書籍だといえよう。この論集は、すでに完結したのではなくまだ進行形であるなら、続刊日本語版がほしい。なお、次の改訂版には是非ともアジア人の著者の名が表記されることを願う。
(評・北野耕一=中央聖書神学校校長)

『ママ、わたしがプレゼント』
オーナーブックス社編 錦織充訳

(日本ホーリネス教団、
定価735円)


 子どもは、創造主なる神があなたとあなたの家族に下さったプレゼントという事実を喜び、時間をさいて下さい−という本書では、子育てに行き詰まりを感じる時、子どもに対する新しい視点を聖書のことばから学ぶことができる。母親の霊的な目が養われることを約束する1冊。

『今こそ平和を実現する』
小中陽太郎著
(日本キリスト教団出版局、
定価2310円)


 同時多発テロ、拉致問題、イラク戦争。近年緊迫の度を増す国際情勢。加えて、憲法改正論に振り回される日本。本書は歴史、宗教、民族を根底にキリスト者もそうでない者も、どの部分で手を握り、広く平和を実現する人々とともに歩むことができるか、可能性を模索する。

『キリストの愛を知って』
鈴木一郎著(いのちのことば社、1,050円)


 一読して清涼感とさわやかな感動を受けた。
 本書は、副題に「一牧者の生涯と奉仕」とある通り、鈴木一郎牧師の信仰と献身の基礎づくりから始まって、同労者との複数牧会を通して牧師として練られ造られていく経緯が記されている。それも通り一編の自伝や苦労談ではなく、聖書のみ言葉を具体的な体験として受け止めた、恵みの回想である。
 鈴木先生は、筆者の地元岡山では、超教派的に「牧師の牧師」的な存在で、人を包み込むような愛と笑顔に満ちたキリストの香りがする牧者である。そのお人柄が本書の随所ににじみ出ていて、神の作品の見本を見るような思いがする。
 徹底した献身、自我を十字架につけるきよめの体験、臨在信仰に生きる、一人の魂を徹底して追いかける、など伝道者としての基本的なあり方が、鈴木先生の祝福された伝道と牧会に結実しているのを見ることが出来る。改めて、伝道・牧会はテクニックや方法論ではなく、人格がどれだけキリストによって取り扱われているかにかかっていることを痛感させられる。
 内容は、求道入信時代から、神学生時代を経て、峰山・但馬の駆け出し伝道者時代に移り、更に岡南教会時代に至る全56項目から成る。1項目は見開き2ページにまとめられ、聖句引用を含めても約2分で読める。
 本書は、健全な教会形成を目指して牧師と共に重荷を分かち合っている信徒にぜひ読んで欲しい。どこの教会にも共通する諸問題がどのように克服されて行くか、実践に裏打ちされた多くの示唆が与えられる。
 牧師・伝道者には身につまされる内容が多くあるが、読み進む内にすべてが恩寵に溶かされて感謝に変わり励まされる。神学生には目指すべき目標が与えられる。日本の多くの教会が直面している複数牧会や、教会の継承問題についても貴重な参考資料になる。本物だけが持つ魅力にあふれた本書は、読む者に静かな感動をもたらす事だろう。(評・内川寿造=アッセンブリー岡山神召基督教会牧師)

『しかし倒れない』
ジョン・ビョウンウク著
(小牧者出版、定価798円)

 試みに勝利する7つの備えを、エペソ人への手紙6章11〜18節から7章のメッセージで説く。また、マタイの福音書4章1〜10節からは、試みの3つのパターンを抽出し、7つの備えによって武装したクリスチャンが、世に出ていって、実際にそれらの試みに勝利する道を教える。

『老いについて』
大塚野百合著
(創元社、2,000円)

  「老いの生き方」を文学作品に探り、ボヴェー、トゥルニエ、河井道子、三島由紀夫、ジャン・バニエ、エバンジェリン・ブース、デーケン、ヘミングウェイと、多彩な人物と作品から老いの生きざまを学ぶ。老いを受け入れる、老いと死からの逃避、老年の隠れた可能性など縦横に論じる。

『卓上語録』
M・ルター著(教文館、3,000円)

 本書は、ルターが食卓などで話したことを、多くの学生たちが自分の心覚えとして記録したもの。
 彼が50歳近くになってから後の時期のものであるから、初期の問題について語ったことは必ずしも正確とは言えないし、彼自身が目を通したり校閲したわけでもない。ルターはドイツ語とラテン語を混ぜて話したようだし、その記録に当たっても人々は当時のラテン語の速記法によったりしているので、記録としても必ずしも正確とは言えない。
 また解説に述べられているように、ルターは深い考えを食卓の話題にし、多くの主題について率直に語り、食卓の薬味としたけれども、いつもしゃべりっぱなしというわけでもなく、修道院的な沈黙を守るということもあったらしい。彼自身客観的な叙述をしたわけではなく、自分自身を動かし、印象に残っているものを伝え、時に自分の意見を激しく発言している。それは記録者についても同じで、幾つかの記録は、記録者たちの理解の特徴を示すことにもなる。生き生きした改革者像を知る手がかりであると共に、ルター自身の発言を後生大事に守ろうとした傾向を示すことにもなっている。
 これまでの邦訳で紹介された卓上語録は、ルターの言葉を多分に自分なりのルター像に構成したのではないかと言われるアウリファーバーのものが主な土台であったが、この新しい訳には現代の研究を踏まえ、より本来のルターに近いと考えられるものが選ばれている。その意味で画期的な訳業と言える。
 注も親切であるが、時にはより広く関係する記録が参照されるとよいと思える場合もある。しかし、それはルターの歴史全体へのかかわりを願うもので欲張りすぎることになるだろう。また彼の神学的な主題についての発言が限られているのも、やむを得ないことかもしれない。
 それでもそこに示された言葉は、ルターの飾らない気持ちを今に伝え、改革者の信仰と生活を私たちに一層身近なものとしてくれるに違いない。
(評・石居正己=ルーテル学院大学名誉教授)

『賛美と神の国』
パクチョンガン著
(小牧者出版、800円)

 賛美のささげ物、賛美と神の支配、賛美と霊的戦い、賛美と証し、賛美とセレブレーションなどについて、解説を読み、指定の聖書個所を自分で読んで質問に答えるワークシート形式の実践的冊子。著者は韓国・日本・米国で賛美のムーブメントを進めているブリッジビルダーズを率いる。

『銀色のあしあと』
三浦綾子・星野富弘著
(フォレストブックス、1,300円)

 88年に出版以来のロングセラーが小型で登場。作家、故三浦綾子氏と星野富弘氏の対談を書き綴った本書は小学3年生から読めるふりがなつき。思い出の地での写真も満載。星野さんはあとがきの中で「私の心の中にはいつも三浦綾子さんが生きています」と語る。

『市民的抵抗−−非暴力行動の歴史・理論・思想』
マイケル・ランドル著(新教出版社、2,700円)

 国家防衛は、軍事的防衛のみではなく、非暴力防衛という選択肢があることを、この本は教えてくれる。著者は、英国の大学の平和学部の名誉研究員であると共に、良心的兵役拒否者でもあり、英仏の核実験への抗議行動などに積極的に参加した平和活動家でもある。  市民的抵抗とは、大衆的な非暴力的行動であり、武力闘争としてのゲリラ戦とは異なり、集団的非協力、受動的抵抗としてのボイコット、祈祷、署名などの市民的不服従の行動である。市民的抵抗の歴史を概観した後、非暴力防衛の理論と実際が詳しく論じられている。  取り扱われているのは、20世紀前半の、ロシア軍に対するフィンランド、イギリスに対するアイルランド、ナチス・ドイツに対するノルウェー、60代の米公民権運動、68年のソ連に対するチェコ市民、86年のマルコス大統領に対するフィリピン民衆、89年の東欧革命などである。特に、ガンジーによる、英国に対するインド解放闘争は詳述されており、その運動の影響力の大きさを教えられる。  秩序だった意志表示としてのデモ行進が、政府の政策に大きな影響を与えた歴史的事実が示される。市民による非暴力的防衛が、ある状況の中では、暴力的抵抗よりもきわめて有効であることに気づかされる。スウェーデンやバルト三国などのヨーロッパ各国政府の、この問題への真剣な取り組みが記されている。  このような伝統があるからこそ、今年、特にヨーロッパで、イラク空爆反対のデモが、秩序と統制のうちに、ユーモラスな批判をも含んで、あれほどの広がりを持ったのであろう(残念なことに、原著は94年の出版なので、この十年の世界情勢には触れられていない)。  イラク戦争支援、軍事力増強へと突き進むわが国において、このような発言や行動の様式があることを教えてくれる。キリスト者は、終末的希望に生きつつ、暴力化する国家に対して、どのような証言と行動が可能であるのか考えさせられる。
(評・岡山英雄=日本福音キリスト教会連合東松山キリスト教会牧師)

『五十歳からの生き方で大切なこと』

(海竜社/四六判/本体1400円)

 パフォーマンス学者が50代の体験が記す。心理学博士号取得と同じころ母と死別しパニック障がいに陥る。どん底でクリスチャンと出会い信仰に導かれる。40歳まで自力でがんばってきたが50代からはイエスの恵みに支えられて生きると語る。「五十歳は不思議な旅の出発点」と。

『ワンダフル』

(いのちのことば社フォレストブックス/B6変/本体1200円)

「もし神さまがおさいふをもっていたならきっと中にきみの写真がはいってる」−色鉛筆タッチのイラストと共に丸文字のことばが優しく語りかける。神様がどんなに私たちを愛してくれているか。いろんな角度からその愛を知ることができる。


『生きること学ぶこと』
工藤信夫著(いのちのことば社、1,200円) 評・斎藤恵理

 昨秋出版されたばかりのこの本は、日常生活や人生の危機的状況などの中で工藤先生ご自身が折にふれ考え、思索を深められたことを通し、「生きる」ことや「信じる」ことなど人生の多岐に渡る課題に一石を投じるべく書かれた1冊です。そのチャレンジは「もっとも個人的なことはもっとも普遍的なこと」という先人の言葉通り、同じ時代を生きる私たちに世代を超え心に深く問いかけるものをもって語りかけてきます。  これまでの工藤先生の著作同様、エデンの園での神の問いかけのように、自分が今どこにおりどこへ行こうとしているのか、読んでいる内に深く探られ自分の足元を見つめ直すことがしばしばでした。  個人的には、恵みシャレー軽井沢で開かれている先生のセミナーに思いがけず参加するようになって10年。「現代はものを想うということが少なくなっている。思索を深めていくように」という最初の出会いの時に語られ、心に刻まれた勧めが今も折にふれ私の心の中にこだましています。  すでに3度読みましたが、光の角度によって物の見え方が微妙に変化するように、その都度自分の心の状態に合わせて今まで気づかなかったひと言に立ち止まって思い巡らし、知らず知らず神との対話の中にいる自分を発見しました。今回また「人間だけに与えられた思い巡らすことをもっと大切に」という言葉にうなずきつつ、様々な角度から自分自身の内面を問われました。  自分の足元を確認すること、自分の中の偽物に気付くこと、素直でいること、与えられた生命を引き受けて生きること、教会の働きはあくまで地道にといった大切なエッセンスと共に、若い牧会者のために書かれた「人を集める教会でなく人の集まる教会」という言葉を心に深く刻み込みました。迷ってもいい、悩んでもいい、つまずきながらもていねいに生きるようにと背中を押し出してくれるような、思索を深める中で折にふれて読み返せる1冊です。(評・斉藤恵理=福音伝道教団今市キリスト教会牧師夫人)

『R.A.トーレー 聖霊』

ランス・ワベルズ著(いのちのことば社、500円)

  歴史に足跡を残す著名な説教者・伝道者のメッセージを再構成した「ポケット・ディボーション・シリーズ」。テーマを絞った信仰のエッセンスを1日10分1か月で学べる。薄くコンパクトな手帳サイズで文字通りポケットに入る。『アンドリュー・マーレー聖潔』も同時に発行。

『これからの日本の教会の伝道』

加藤常昭著(日本キリスト教団出版局、950円)

  説教・牧会についての論客として知られる著者による、日本基督教団美竹教会創立70周年記念講演の再録。「伝道とは本来教会がなすべきもの…現役の牧師でなければ発言権はない」とためらいつつ、請われて「去りつつある者の遺す言葉」として語った。


『ヘボン物語』
村上文昭著(教文館、1,800円) 評・中山弘正

 日本人への最大の贈り物として聖書翻訳を実行し、そのためにまず辞典を作るところから取り組んだヘボン博士。そのヘボン式ローマ字は広く知られている。ペリーの黒船からの幕末の激動期、明治維新にほぼ10年も先立つ危険な時代に、ただひたすらキリストのゆえにこの国に来られたお方。  著者が掲げた参考文献だけでも75冊にのぼり、著者が長年あたためてきた主題であることがわかる。本書のサブタイトルは「明治文化の中のヘボン像」で、たとえば第4章「吟香登場す」では、銀次(後に名を改め吟香)のことにふれる。31歳の時眼を患った銀次は医者でもあるヘボンに眼の病気を治してもらう。それを機にヘボンの助手となり、医療と聖書翻訳両面でヘボンを助け、のちに眼薬を日本人に広めたことで有名になった。  第10章でも同時代の女性たち(マーガレット・バラ、イザベラ・バードなど)、名女形と言われ炭疽病を患った田之助、情夫がハンセン病だった毒婦として名高いお伝との出会いに筆が及ぶ。  書き出しはいかにも小説風で、「蒸気船が浦賀水道を北上するころから、中年の紳士と夫人は、甲板に立って右や左の陸地をながめつづけた。これから自分たちが働く天地かと思うと、心が躍る気がした」といった風である。しかし、第2章「嵐の中の施療」、第3章「若き英才たちへのヘボン塾」と移っていくにつれ、ヘボン自身の「書簡」「手紙」をはじめ、歴史史料をふんだんに引用しながらの歴史書風の展開もなされていく。それにとどまらない。大正・昭和と時代が下ってからも、たとえば作家の早乙女貢、山田風太郎の中に登場するヘボン像も物語られていくのである。  本書はそうした広がりをもって、多様な面からヘボン像を浮き立たせていく、まさに「物語」であり、読者は楽しみかつ心打たれる。最後の方では目下キリスト教研究所が準備している「近代日本と明治学院」という新設科目のことや、評者が創立以来顧問をし、04年創立35周年を迎えるヘボン聖書研究会も登場する。多くの読者を期待したい。

『砂漠の知恵』

ヘンリ・J・M・ナウエン著(教文館、1,600円)

 4、5世紀のキリスト教隠遁者たちの言行録を、霊性の人と注目されるナウエンが集めた。タイトル通り砂漠の中のオアシスのような、さりげなくも目からうろこを落とし、心豊かにさせる言葉の数々。編訳者の野村祐之氏が、言葉にあわせて描く日本風の墨絵が、これまた味わい深い。

『日本の説教6 羽仁もと子』

(日本キリスト教団出版局、2,600円)

 夫の吉一とともに、キリスト教精神に基づいた子女教育の場として設立した自由学園。学生たちと共に生活したもと子の、日々の歩みの中から礼拝で語った「お話」が集められている。教育者の言葉だけに常に「適応」が含まれる。キリスト者としての生きる道が示される。


旧約聖書大全
ジョン・ドレイン著(講談社、3,600円) 評・石黒則年


 この書は読み物として実に面白い。ついつい時間を忘れ、先が読みたくなる。著者は『ビジュアル聖書百科』(いのちのことば社)の編集者としても知られている。著者紹介を見ると実践神学、新約聖書学を教えているとあり、旧約の専門家ではない訳だが、旧約学への入門書として十分な内容をもった書籍である。  第1部「旧約聖書の歴史と物語」(第1章〜第7章)において、旧約に記述される内容から歴史的事実を再構成しようと試みられる。記事そのものを歴史的事実