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 2003掲載
老いること、死ぬこと
鍋谷尭爾、森 優共著(いのちのことば社、1,300円)


 短期間に三版を重ねた『老いと死を考える』を基にこの度、森優氏との共著で版を改め、装いも新しく出版された。
 著者は「老いること、死ぬこと」の最後に残る課題はスピリチュアリティ(霊性)の問題であるとする。21世紀はキリスト教のみならず、多くの宗教がこのことに取り組みつつあり、スピリチュアリティはただ心の問題だけでなく、人間、世界観、宇宙観にもかかわることであり、いわゆる医学的ケアのみで処理することは困難である。
 同時に、キリスト教にとって異教国の我が国の歴史と文化の中で、この国の精神的遺産を受け継いできた日本人に、著者が提示する聖書のメッセージに深く耳を傾けるよう勧めている。
 著者は「老いは誰しもが享受できることではなく、長寿を与えられているということそれ自体が感謝なことである、と積極的に受け取るべきである」と考える。もちろん、この部分でも政治、経済の問題の中で国家のこれに対する対策と現実をも鋭い目で見据えており、それらに完全に身を委ねることができるのではないと警鐘を鳴らす。つまり老いが極まるときには自他ともに苦しむ時があり、それに目をつぶらず、人間を生かし超えるものに思いを向け、信頼すべきであると勧める。
 第二部では、多くの哲学、宗教、思想における「死」の意義を語るが、「死」そのものの解釈は非常にあいまいであると指摘する。ここでも、現在の医療に携わる人々の苦悩を理解しつつも、そうした条件のみでは死を受容することはなかなか困難であると厳しく受け止める。やはり聖書の言う死生観をもつ時に、人は死のかなたにさえ希望をもつことができると、かなたを指差す。
 著者は自ら若くして結核を病み、病と死と闘った経験をもち、壮健でない奥様の健康を思いやりつつ、使命を全うしつつある篤学の士である。読者は本書を読んだ後、著者に直接講演などを依頼したら、更によく「老いと死の問題」について考えることができるだろうとお勧めしたい。(評・小林和夫=日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)

増補改訂版『教会役員・リーダーの役割』

岡村又男著(いのちのことば社、1,700円)

 神学校で牧会学を教え、自身牧会経験の長い著者が、「共同牧会者としての役員」と、その務めについての課題を網羅した。教会とは、牧会とは、役員の職務とは何か、宣教・教会教育・書記・財務・福祉厚生・教会堂管理・教会総会における務めとは、など基本と実際が分かる。

『日本の中の世界』

原尻英樹著(新幹社、1,500円)

 寄留の外国人とどう暮らすべきかは、聖書が旧新約を通して関心を寄せるテーマだ。排外的な日本社会の中で苦しむ在日外国人の問題に取り組むクリスチャンもいるが、多くは無関心ではないか。本書は「つくられるイメージと対話する個性」を副題に、その実情に迫る。


クリスマスの風景
賀来 周一著(キリスト新聞社、1,200円)


 第1章「クリスマスの裏舞台」はこんなフレーズで始まる。「1月6日もクリスマスだった」
 知っている人もいるかも知れない。しかし、大部分の人はそうではないだろう。ともかく多くの人々は何の疑いもなくクリスマスを12月25日だと思っている。しかし世界の教会の中には、1月6日をクリスマスと定め祝っているところもあるのだ。その日付の由来から始まり、冬至とクリスマスの結びつき、他宗教とキリスト教の触れ合いなど、第1章は思わず「へぇ」と連呼してしまうような興味深い解説が続いている。
 そのほかの章も、なじみの深い聖書のクリスマス物語をていねいに分かりやすく解説してある。現代の具体的な事柄と比べながら「クリスマス」というものを様々な角度から見て、考えることができる。本書は、ある意味そのきっかけ作りをしてくれる1冊だ。
 エピローグにある「クリスマス豆知識」も面白い。日本で最初のクリスマスのエピソード。サンタクロースの白い袋の由来。クリスマスツリーとろうそくの意味。そしてクリスマスを代表するお菓子、ブッシュ・ド・ノエルやシュトレンの始まり。私たちが当然クリスマスに欠かせないもの、と思っているそのひとつひとつにはちゃんと意味があるのだ。この本を読んで迎えるクリスマスは、またひと味違うものになるかもしれない。

『クリスマスの祈り』

ブライアン・モーガン著、セルジオ・マルティネス画(いのちのことば社、1,200円)

 町にあふれるクリスマスイルミネーションや、たくさんのプレゼント。今年は、誰に何を贈ろうか…。
 はるか昔のクリスマス。豊かな心を持つ貧しい男が愛する友へ何を贈ろうか、考えをめぐらせた。「わたしはこのうちのどれひとつ持っていない。だけど、こんなに満ち足りている…。本当の豊かさとはお金のあるなしによらないのだろう」
 そう思った男が羊皮紙の巻き物に書きつづった12の祈り。「君のために忍耐を祈ろう。苦難にうちかつ忍耐を。じっと耐えているうちに困難はすぎさり、しんぼう強く待つときに成功はおとずれる」など、人間の心の深い部分に宿る空洞に語りかけてくれるような祈りがページを埋める。
 ただクリスマスを祝う言葉だけでなく、愛、忍耐、勇気、信仰、あわれみなどの12の言葉を励ましのメッセージとして私たちに届けてくれる。それらは形あるものよりも永遠に消えない、光り輝く贈り物として、みんなに伝えられていく。
 時が過ぎてその男が忘れられても、その祈りは決して色あせることがない。
 心温まる絵は、あの人気絵本シリーズ『たいせつなきみ』(フォレストブックス)の絵を描いたセルジオ・マルティネス。ちょっぴり大人向けの心温まるストーリーで、小さめサイズもプレゼントに最適。そっとカバンにしのばせておきたい1冊だ。

『朝夕のまごころの祈り』

バジレア・シュリンク著(カナン出版、724円)

 プロテスタントの共同体、マリア福音姉妹会の創設者バジレア・シュリンクによる1週間の朝夕の祈りの本。「感謝しつつ歩む」、「心配することなく、信頼して歩む」、「アッバ、愛する父よ!」、「赦しを感謝して」など朝夕合わせて14の祈りを収録。
 「感謝しつつ歩む」では、「この新しい一日を与えてくださったことを感謝します」に始まり、「神よ、この一日、あなたの被造物であり、子であるわたしの感謝があなたに喜びをもたらし、また、あなたはわたしのことを喜んでくださいますように」で終わる。
 巻末には、1週間の祈りを終えた後のまとめがあり、「あなたはわたしをゴールへと導いてくださいます。・勝利を得る者は栄冠を授けられるのです」と神様が備えている将来の希望へと心を向けさせてくれる。
 本書は、一つひとつの祈りが読む人の心を敬虔にさせ、時に励まし、時に罪を指摘し悔い改めを促す。この世の一切のものから目を離れさせ、ただ主と語り合っているという世界へと導いてもくれる。忙しい現代に生活する私たちだが、仕事の合間に、あるいは通勤電車の中で本書の祈りを黙想し、静まる時をもつなら、心にゆとりを取り戻すことができるだろう。

青春の賀川豊彦
(雨宮 栄一著、新教出版社・四六判・本体2500円)

 ある神学校で、賀川豊彦について60人ほどの神学生に聞いた。驚いたことにその名前を知っていた人は3人だけだった。その神学校が賀川豊彦が属した教派とは異なる福音派の学校だったこともあるかもしれない。だが、海外では日本の20世紀を代表するクリスチャンとして知られる賀川の名前も一般的には遠い存在になりつつあるのかも知れない。
 本書はそのような何も知らない若者たちにぜひ読んでほしい一書だ。だが、その題名から想像される青春小説風の印象は本文を読み進む内に少し違ってくる。確かに、その生い立ちから20代前半に至る足跡が克明に描かれているが、筆致は決して軽くはない。むしろ、著者の時代背景を克明に記しながら一人の稀代の青年の劇的な人生を描く様は、情に流れることなく膨大な資料から客観的に人間像を掘り起こしていった印象を受ける。
 賀川豊彦の出自を語る時、母・かめが正妻ではなく、妾の子として差別されたことは彼の心に深い傷を残したことが必ず取りざたされる。本書は、明治20年代の男尊女卑の時代の空気をも紹介しつつ、その闇の世界から16歳の時、福音にふれ光の世界へと移される魂の遍歴が、当時の海外からの宣教師の人間像と重ね合わせながら淡々と語られている。福音にふれた青年賀川豊彦がどのように学びの季節を過ごしたかは、時代は変わっても、自らの将来に漠然とした不安を抱えながら生きている青年たちにとって共感する場面ではないだろうか。さらに当時、自己像を確立するためにさ迷い続ける青年が、決して内向的になるのでなく、その思いはしっかりと時代と社会に向けられ、自分の使命を模索する姿は感動すらおぼえる。
 21歳で神戸・新川に弱者救済のために病身ながら飛び込んだ賀川豊彦。その壮絶な青春の記は、自伝的小説『死線を越えて』にくわしいが、この無名の作者の作品が大ベストセラーとなり、やがて、その社会活動家としての名声はもちろん、稀代のキリスト教伝道者としての活躍は別の物語となる。
(評・守部喜雅=「百万人の福音」編集長)

『ホーリネス牧師15人のメッセージ』

 今年はジョン・ウェスレー生誕300年。本書はその記念出版で、ウェスレーの流れを汲む日本の12の教派・団体から推薦を受けた教師15人が執筆、様々な角度から「きよめ」について説いている。今の時代に「ホーリネスに生きるとは何か」を教えてくれる。(福音文書刊行会編/B6判/本体1700円)

『イエスの終末のたとえ』

 著者が四国学院大学在職中に講義した「イエスのたとえ」を基に、削除・加筆しまとめた。多くは終末のたとえを扱っており、その希望について語っている。著者は「終わりの日を目指して備えをすることのために、本書が少しでも助けになるならば」と願う。(聖恵授産所出版部/B6判/本体1200円)

『侵略神社』

辻子 実著(新幹社/A5判/本体3000円) 

 何ともストレートな書名である。本書は、日本の侵略戦争を思想的に支えた、「神社」の歴史的意味を明らかにしようとしている。副題は「靖国思想を考えるために」であり、靖国神社問題と、日本の戦争責任を問う問題意識が根底にある。

 書名や装丁のイメージとは異なり、内容は冷静で堅実である。前半は写真集で、アジア諸国をはじめ海外の神社はそのほとんどが消滅しているため、当時の様子を伝える貴重な資料である。かつてこれだけの神社が海外にあったことを目の当たりにするだけでも、侵略のために機能した神社の役割について考えさせられる。

 後半の著述部分は、資料の引用が豊富で、脚注や巻末の文献表も充実している。統計等を交え、神社の性格や設立の経緯、参拝状況などが丁寧に描かれている。海外の神社に関する資料が少ないだけに、神社問題を歴史的に検証する際の資料集やガイドとして助けになる。また、諸外国との関わりの中で、靖国思想を考えることの重要性を再認識させられる。

 本書は、いわゆるキリスト教書ではないが、教会固有の課題を考える上での示唆も与えられる。例えば、当然取り上げられている戦時下のキリスト教界の神社参拝問題については、自己批判に留まらず、問題点を総体的に捉える必要を痛感させられる。特に福音派のキリスト教界で靖国問題等が論じられる際、偶像であることを問題視する意見が散見される。良心的ではあるが、神社問題の本質とは少しずれる。靖国思想の根底にある死の意味付けに対し、教会は力ある言葉として福音を語り得ているか、問われていると言えるだろう。

 忘れてはならない事実や、検証すべき課題が提示されている労作である。ただ、黒地に白抜きの書名と赤い鳥居というカバーデザインは、インパクトはあるが、それ自体が特定の立場を主張し過ぎているように感じられる。普段あまり関心のない人や、歴史観や神社問題について、意見を異にする人にも手にして欲しい1冊だ。
(評・上中栄=日本ホーリネス教団鵠沼教会牧師)

『子育てのストレスを喜びへ』

 玉井 敦子著
(いのちのことば社/四六判/本体980円)

母親として、どう子どもと向き合っていくか。夫とどうコミュニケーションをとればいいのか。忙しい子育ての中でどう信仰を保つか。3人の子を育てた著者は、適度なストレスが母親に素晴らしいチャレンジと生きがいを教えてくれると語る。子育てで疲れた時、この本を開いては?

『チャールズ・フィニー 霊的力』

 ランス・ワイベルズ編
 (いのちのことば社/B6変/本体500円)

 米リバイバリスト、チャールズ・フィニーの言葉をまとめたポケット・ディボーション・シリーズ第4弾。「神の国とその栄光のために、聖霊の力によって聖書的なキリスト教に立ち返り、それを実践」したフィニーが罪からの解放、霊的成長などについて単刀直入に語る

 

『わが家のリビング介護天国』

俣木聖子著(フォレストブックス、1,400円) 評・伊藤 規雄

 本書は「・介護天国」というタイトルとは裏腹に、苦しみと戦いに満ちた一クリスチャン主婦作家の奮闘記とも言えるでしょう。
 幼児期の異国での戦争体験、父の浮気と離婚、夫の家庭を顧みない夜遊び生活など、心がずたずたに引き裂かれそうな人生のただ中で、聖子さんはキリストに救われます。しかし、夫の失業と繰り返す転職、病の母との同居、夫の父との同居と身も心も休まるときがありません。そして聖子さんにとっては青天の霹靂とも言うべき介護事業がスタート。定年間近の夫が家の貯金をはたき、多額の借金をして、彼の夢だった介護事業を始めてしまったのです。
 そんな波瀾万丈の生涯を介護事業の建て上げを中心に、実におもしろく痛快なタッチで描いています。そして読む者を彼女の現実と本音の信仰生活の世界に引き込んでくれます。涙あり、笑いあり、夢あり、絶望あり、御言葉ありと大変生き生きとした作品であり、かつ実際的で、特にこれから介護に携わる人々にも介護される者にとっても大変参考になるでしょう。
 さらに本書は日本のクリスチャンに対する、まじめで正直で堅物のピューリタン的な、悪く言えば消極的・厭世的なイメージを打ち破ってくれるものだと期待しています。それでもクリスチャンかと言われるような、人間の醜さ、弱さ、罪深さ、あるいは神に対する疑問、つぶやきなどのいわゆる恥の部分を包み隠さず正直に書き出す(告白する)ことによって、神様の愛と恵みに触れさせてくれるからです。
 クリスチャン作家で名の知れた三浦綾子さんの生きざまとは一見正反対のように見えますが、弱さと欠点だらけ、迷いと葛藤に満ちた、わたしたちの人間性と信仰生活の本音から言えば、このような人間味あふれる本の登場はうれしいことです。クリスチャンに限らず、多くの人に心から推薦いたします。
(評・伊藤規雄=堺福音キリスト教会泉北チャペル牧師)

快老いろは川柳

 著者は老人ホームのカウンセラー兼チャプレンとして10年間働いてきた経験と、『健康医学小辞典』にかかげられた「趣味を持とう」などのアドバイスを組み合わせ、ここちよく年を取るための45の教えを説く。「い:いらだちは命縮める諸病のもと」など目次も川柳で楽しめる。(いのちのことば社/B6判/本体1200円)
秋田のお母ちゃん統一協会とわたりあう

 娘が統一教会に入信してしまった−。突然の家出や繰り返される失踪の影に浮かび上がる邪悪な宗教。原理運動被害者父母の会会長でもあった著者は、同じ悩みを抱える親たちと共に反対運動に尽力する。1970年ごろから始まった活動もはや30年。状況はどう変わったのか。(ウインかもがわ/四六判/本体1500円)
 
『「ハイデルベルグ信仰問答」講義』 春名 純人著/聖恵授産所出版部、本体4500円

福音の本質の確認のために

 この問答書は、ドイツのネッカー湖畔の美しい古都、ハイデルベルグに関係があるが、1563年、聖書的キリスト教の再発見を求めて展開されていたあのきびしい宗教改革の戦いの真っ直中から生み出されたものである。まさに、プロテスタントを代表する歴史的遺産の書である。
 全体は、ローマ人への手紙の構造、すなわち、罪と悲惨、キリストによる救い、喜び・感謝・賛美の三部構造から成っている。その根本性格はカルヴァン的である。
 さて、`短評aという制約のゆえに、十分な紹介ができないのが残念であるが、以下にいくつかの点を記させていただくこととしたい。
 まず第1に、本書は、ハイデルベルグ信仰問答を扱ったものとして、本邦初の、もっとも充実した本格的な書であると申し上げたい。この点は著者が今日までに著されたドイツ、オランダ、そして英語圏の関連文献を駆使された事実からも、その実感がひしひしと伝わってくる。
 第2に、本書が戦いの教会のある具体的現実の結晶であるという事実に注目させられる。つまり、本書は神戸の改革派・灘教会の成人科の教理講座でなされた講義をもとにして書かれたということである。このようなすばらしい講義にあずかった方々は、何と幸いなことかと申し上げたい! また、著者は哲学教授(関西学院大『哲学と神学』の著者)でありながら、日ごろ、教会の役員信徒として、このような尊い奉仕を続けておられる事実は、すべての教会の歩みにとって大きな励ましでもある!
 第3に、今日、`宗教多元化aの呼び声が高い。と同時に、宗教、特にキリスト教の「信憑性の危機」(P・バーガー)や、「われここに立つ」(M・ルター)の不透明化が指摘されている。著者は巻末に「カテキズムの三効用」という適切な論文も加えておられる。日本における福音の本質の確認および広まり、深まりのため、本書を用いることの今日的意義はきわめて大きいと申し上げたい。
 (評・宇田進=東京基督教大学名誉教授)

『聖書的いやしの法則』
尾形 守著



 著者は「主イエスはどんな病もいやすことができる」との信仰に立ち「聖書的いやしの法則を読者に伝えること」を目的に書いた。いやしを受け取るには、まず「主はいやす者」「いやしは今もある」「いやしは贖いの中にある」と信じなければならないという。
(マルコーシュ・パブリケーション/B6判/本体1300円)
『ひたすら人間らしさを求めて』
小助川 次雄著



 「ひたすら人間らしさを求めて」きたという筆者。苦学の学生時代、そして様々な病気との闘い。牧師になってからの自分。さまざまな宗教を見据え、「クリスチャンとして生きる」とは何なのかを解く。キリスト教自分の人生をたどりながら筆者が見つけた答えとは。
(いのちのことば社/四六判/本体1200円)
 
『セル教会の本質と実際』石原良人著/JCMN出版、本体1600円

人間的社会学的な問題分析に社会学的な回答を与えている

 @著者の体験・・著者は情熱的な伝道者で、デパート伝道を始めとする伝道活動や、信徒を主の弟子に育てるための様々な方法を試み、開拓した教会を300人にまでしたが、その後同教会は60人にまで衰退してしまう。
 牧会に悩んだ著者は、ラルフ・ネイバー氏のセルチャーチ・セミナーに答えを見いだし、すぐさまシンガポールに行ってセルを学び、教会のセル化に成功。現在に至っている。
 A率直に評価するべき点・・セルチャーチという方法論に対して好意的であろうと懐疑的であろうと、率直に評価するべき点は、魂に対する著者の情熱である。
 自ら献身的に生きる模範は高く評価したい。信徒が責任ある弟子に育つためにはふさわしいポストが必要であり、その必要を満たすゆえにセルは成功すると主張しながらも、「セルは…あくまで牧会の方法論に過ぎません」と語るところに、魂を考えている姿勢が表れている。
 B問題を感じる点・・セルチャーチ理論に対する一般的な批判は、経営学的な組織拡大戦略に聖書的な装いを施しているだけだということだろう。その批判は本書にもあてはまる。福音理解を示す章こそ聖書的だが、その他の部分はむしろ社会学的である。著者の重んじるシュバルツ氏の『自然に成長する教会』 は教会の社会学的分析である。
 著者自身が日本宣教が進まない原因を「人間関係の持ち方が分からない」からと論じ、「セルの伝道は人間関係による伝道です」と言うのは、社会学的問題分析に社会学的な解答を与えているのである。
 人間の知恵である社会学と聖書の教えを区別せずに一連の主張に盛り込むのは、読者に混乱を与える。
 セルは社交性豊かなリーダーが必要な特殊な方法論であり、一種の宗教改革のように期待するのは行き過ぎであろう。
(評・國分広士=日本福音キリスト教会連合中野島キリスト教会牧師)

『ハドソン・テーラー霊的奥義』ランス・ワベルズ編
 中国を中心に大きな宣教の足跡を残した説教者ハドソン・テーラーのメッセージを1日2ページ、1か月で読むポケット・デボーション・シリーズ。ほかにジョージ・ミュラー『信仰』、チャールズ・スポルジョン『祈り』も出た。サイズも小さめでどこにでも持っていける手軽さがある。(いのちのことば社/B6変/本体500円)
『受けたもの伝えたいもの』阪田寛夫著
 月刊「信徒の友」の連載エッセイを単行本化したもの。まど・みちお、安西均のなど著名人の詩から母という身近な人の言葉まで、著者の心に響いたものと自身の体験や思いを絡めて書いている。計24編の短編集の中から、また新たに心に響く言葉を探すことができる。(日本キリスト教団出版局/四六判/本体2200円)
 
『心悩む者に神宿る』

「悔い改めの対話」を問われる

 本書は福音主義神学会・全国研究会(02年秋開催)において発表された講演の記録である。内容は、監修者である牧田吉和氏の説教、日本における実践神学の第一人者である加藤常昭氏の発題講演、更に福音主義神学会を代表する4人の牧師による応答的発題講演によって構成されている。
 加藤氏はすべてのセッションを担当されている。その論考は一貫して神の言葉の神学を出発点としている。そこから、日本における教会の働き人または霊的導き手としての牧会者とは何かを深く問い直し、それらを神学的な筋道を立てながら、提言としてまとめておられる。「《外からの言葉》を聴き、語り続けるように・」、「牧師のための魂への配慮をする仕組みが整っている制度の構築を・」、「対話のパースペクティヴを持った説教を・」というような言葉に加藤氏の牧会論の強調点が現れている。特に「牧会における告解と教会戒規の意義」を考察した際、われわれに対して「悔い改めと赦しに生きることができない限り、教会に生きるキリスト者はファリサイ派であり続ける」という問題提起をしている。真の悔い改めの対話が私たちの教会で実現しているだろうかと真摯に問われる。読みながら自らが問われる内容となっている。
 また、河野氏の「信徒の牧会への参与」、堀氏の「牧会者のライフサイクル」、宮村氏の「愛の波紋としての説教」、そして窪寺氏の「牧会カウンセリングにおける仲介者としての聖霊の働き」などの考察も読者に多くの示唆を与えてくれる。
 この度の研究会の結実をより豊かなものとするためには、現場の牧師たちがこれらの論考を取り上げ、更に討論していただくことにある。教団や地区の牧師会などでぜひ取り上げていただきたいものである。また、実践神学の分野でこのような対話がなされたことはとても意義深い。これを機に各論においての議論が深められ、牧会を実際的に援助し教会を建て上げる神学が構築されることを心から期待している。そのような大きな広がりを生じさせる貴重な書となるであろう。(評・具志堅 聖=日本福音同盟総主事・牧会ジャーナル編集委員)
『福音主義神学における牧会』

「悔い改めの対話」を問われる

 本書は福音主義神学会・全国研究会(02年秋開催)において発表された講演の記録である。内容は、監修者である牧田吉和氏の説教、日本における実践神学の第一人者である加藤常昭氏の発題講演、更に福音主義神学会を代表する4人の牧師による応答的発題講演によって構成されている。
 加藤氏はすべてのセッションを担当されている。その論考は一貫して神の言葉の神学を出発点としている。そこから、日本における教会の働き人または霊的導き手としての牧会者とは何かを深く問い直し、それらを神学的な筋道を立てながら、提言としてまとめておられる。「《外からの言葉》を聴き、語り続けるように・」、「牧師のための魂への配慮をする仕組みが整っている制度の構築を・」、「対話のパースペクティヴを持った説教を・」というような言葉に加藤氏の牧会論の強調点が現れている。特に「牧会における告解と教会戒規の意義」を考察した際、われわれに対して「悔い改めと赦しに生きることができない限り、教会に生きるキリスト者はファリサイ派であり続ける」という問題提起をしている。真の悔い改めの対話が私たちの教会で実現しているだろうかと真摯に問われる。読みながら自らが問われる内容となっている。
 また、河野氏の「信徒の牧会への参与」、堀氏の「牧会者のライフサイクル」、宮村氏の「愛の波紋としての説教」、そして窪寺氏の「牧会カウンセリングにおける仲介者としての聖霊の働き」などの考察も読者に多くの示唆を与えてくれる。
 この度の研究会の結実をより豊かなものとするためには、現場の牧師たちがこれらの論考を取り上げ、更に討論していただくことにある。教団や地区の牧師会などでぜひ取り上げていただきたいものである。また、実践神学の分野でこのような対話がなされたことはとても意義深い。これを機に各論においての議論が深められ、牧会を実際的に援助し教会を建て上げる神学が構築されることを心から期待している。そのような大きな広がりを生じさせる貴重な書となるであろう。(評・具志堅 聖=日本福音同盟総主事・牧会ジャーナル編集委員)
『神に呼ばれて 召しから献身へ』


 主イエスは「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」(マタイ9・37、38)と語られた。
 現代の日本の教会は御言葉の通りの状況である。日本のある大きな教団では、団塊の世代の牧師たちが引退する10年後の2013年ごろには3分の1の教会は無牧になると予想されている。
 また多くの神学校では入学する神学生の減少傾向が顕著である。そのような危機感をもって出版されたのが本書ではなかろうか。
 現役の日本基督教団の牧師を中心に、音楽伝道者の新垣勉氏やカトリック教会の司祭、他教団の牧師など23人の献身の赤裸々な証しである。
 1人の人がイエス・キリストに出会い、救われ、ある者はすぐに、ある者は長い人生の歩みの中で神の呼びかけに応え、様々な葛藤と挫折・失敗を経験し、教会の祈りと御言葉と聖霊の導きで、神の御言葉を伝える者として召命を受け、伝道者の道を歩んだ証しが6章にわたって記録されている。もちろん献身とは、すべてのキリスト者がなすべき信仰の姿勢であるが、伝道者としての召命を受けた献身者は、特に日本の教会の宣教の課題の1つとして最重要な課題ではないか。
 拙者も伝道者の一人として、多くの失敗や挫折を経験し、今に至っているが、牧師の務めは最高の仕事であると考える。もう一度人生を繰り返せるならば、やはりまた牧師になりたいと願う。
 私たちは若者にこの献身の喜びと特権をもっと語るべきではないか? 若者2千人が集った8月のSSST青山(JEA世界宣教青年大会)で献身の分科会を担当したが、100人以上の若者が参加した。献身を志す若者は多いのだ。
 次は、彼らに主の栄光のために生涯を献げるようチャレンジする、福音派の伝道者たちの献身の証しの本を待望する。
(評・滝田新二=片柳福音自由教会牧師)

日本キリスト教団出版局編
(日本キリスト教団出版局、2,600円) 評・滝田 新二

十字架と向き合い自分を直視

 不思議な本です。ふと気づくと、人生で一番重要な質問と向き合っている自分がそこにいます。
どのページを読んでも、自分がそこにいます。
 ペテロやヨハネのように、イエス様を愛した弟子たちの物語を読んでも、律法学者や祭司たちのように、イエス様を憎んで十字架の死に追いやった敵の物語を読んでも、彼らの心と行動の中に、自分がそこにいます。
 十字架を取り囲む人々の物語は読む者の心と重複し、一つの質問を投げかけてきます。「あなたは十字架上のイエス様とどのように向き合いますか」です。
 この本の読者は肯定的であろうと否定的であろうと、この質問に答えざるを得なくなります。最終的には誰でも、イエスかノーかをはっきりさせなければなりません。
 私にとって最も興味深く考えさせられたのは、ピラトという人物の人間性と十字架に対する態度でした。十字架に向き合う事を避けようとした彼の姿勢こそ、私たち日本人がとってしまうものだからです。
 クリスチャンになったあとでも、この傾向はしぶとく私たちの中にへばりついています。手を洗って「私は関係ない」と宣言したいのです。しかし、避けようとすればするほど十字架そのものがピラトに迫り、イエスかノーを選ぶよう促します。
 無関心を装うことは十字架にノーと答えることであり、最も卑怯で惨めな結果を招くものです。この質問からピラトのように手を洗おうとしても、逃れることはできません。
 この本は、十字架を取り囲んだ人々を通して自分の心を見直し、十字架を直視するという、人生で誰もがしなければならない精神体験に導いてくれるでしょう。
 この本は著者の一生を決定づけた体験から生まれたものです。この質問に向き合って出した答えが彼の人格であり、家庭であり、使命であり、仕事です。この質問に答えることが、あなたの生涯を、永遠を決定します。あなたはどう答えますか。
(評・平野耕一=東京ホライズンチャペル牧師)



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