

| 2003掲載 | |
| 『老いること、死ぬこと』 鍋谷尭爾、森 優共著(いのちのことば社、1,300円) ![]() 短期間に三版を重ねた『老いと死を考える』を基にこの度、森優氏との共著で版を改め、装いも新しく出版された。 著者は「老いること、死ぬこと」の最後に残る課題はスピリチュアリティ(霊性)の問題であるとする。21世紀はキリスト教のみならず、多くの宗教がこのことに取り組みつつあり、スピリチュアリティはただ心の問題だけでなく、人間、世界観、宇宙観にもかかわることであり、いわゆる医学的ケアのみで処理することは困難である。 同時に、キリスト教にとって異教国の我が国の歴史と文化の中で、この国の精神的遺産を受け継いできた日本人に、著者が提示する聖書のメッセージに深く耳を傾けるよう勧めている。 著者は「老いは誰しもが享受できることではなく、長寿を与えられているということそれ自体が感謝なことである、と積極的に受け取るべきである」と考える。もちろん、この部分でも政治、経済の問題の中で国家のこれに対する対策と現実をも鋭い目で見据えており、それらに完全に身を委ねることができるのではないと警鐘を鳴らす。つまり老いが極まるときには自他ともに苦しむ時があり、それに目をつぶらず、人間を生かし超えるものに思いを向け、信頼すべきであると勧める。 第二部では、多くの哲学、宗教、思想における「死」の意義を語るが、「死」そのものの解釈は非常にあいまいであると指摘する。ここでも、現在の医療に携わる人々の苦悩を理解しつつも、そうした条件のみでは死を受容することはなかなか困難であると厳しく受け止める。やはり聖書の言う死生観をもつ時に、人は死のかなたにさえ希望をもつことができると、かなたを指差す。 著者は自ら若くして結核を病み、病と死と闘った経験をもち、壮健でない奥様の健康を思いやりつつ、使命を全うしつつある篤学の士である。読者は本書を読んだ後、著者に直接講演などを依頼したら、更によく「老いと死の問題」について考えることができるだろうとお勧めしたい。(評・小林和夫=日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師) |
|
|
増補改訂版『教会役員・リーダーの役割』 岡村又男著(いのちのことば社、1,700円) |
『日本の中の世界』 原尻英樹著(新幹社、1,500円) |
| 『クリスマスの風景』 賀来 周一著(キリスト新聞社、1,200円) ![]() 第1章「クリスマスの裏舞台」はこんなフレーズで始まる。「1月6日もクリスマスだった」 知っている人もいるかも知れない。しかし、大部分の人はそうではないだろう。ともかく多くの人々は何の疑いもなくクリスマスを12月25日だと思っている。しかし世界の教会の中には、1月6日をクリスマスと定め祝っているところもあるのだ。その日付の由来から始まり、冬至とクリスマスの結びつき、他宗教とキリスト教の触れ合いなど、第1章は思わず「へぇ」と連呼してしまうような興味深い解説が続いている。 そのほかの章も、なじみの深い聖書のクリスマス物語をていねいに分かりやすく解説してある。現代の具体的な事柄と比べながら「クリスマス」というものを様々な角度から見て、考えることができる。本書は、ある意味そのきっかけ作りをしてくれる1冊だ。 エピローグにある「クリスマス豆知識」も面白い。日本で最初のクリスマスのエピソード。サンタクロースの白い袋の由来。クリスマスツリーとろうそくの意味。そしてクリスマスを代表するお菓子、ブッシュ・ド・ノエルやシュトレンの始まり。私たちが当然クリスマスに欠かせないもの、と思っているそのひとつひとつにはちゃんと意味があるのだ。この本を読んで迎えるクリスマスは、またひと味違うものになるかもしれない。 |
|
|
『クリスマスの祈り』 ブライアン・モーガン著、セルジオ・マルティネス画(いのちのことば社、1,200円) |
『朝夕のまごころの祈り』 バジレア・シュリンク著(カナン出版、724円) |
| 『青春の賀川豊彦』 (雨宮 栄一著、新教出版社・四六判・本体2500円) ![]() ある神学校で、賀川豊彦について60人ほどの神学生に聞いた。驚いたことにその名前を知っていた人は3人だけだった。その神学校が賀川豊彦が属した教派とは異なる福音派の学校だったこともあるかもしれない。だが、海外では日本の20世紀を代表するクリスチャンとして知られる賀川の名前も一般的には遠い存在になりつつあるのかも知れない。 本書はそのような何も知らない若者たちにぜひ読んでほしい一書だ。だが、その題名から想像される青春小説風の印象は本文を読み進む内に少し違ってくる。確かに、その生い立ちから20代前半に至る足跡が克明に描かれているが、筆致は決して軽くはない。むしろ、著者の時代背景を克明に記しながら一人の稀代の青年の劇的な人生を描く様は、情に流れることなく膨大な資料から客観的に人間像を掘り起こしていった印象を受ける。 賀川豊彦の出自を語る時、母・かめが正妻ではなく、妾の子として差別されたことは彼の心に深い傷を残したことが必ず取りざたされる。本書は、明治20年代の男尊女卑の時代の空気をも紹介しつつ、その闇の世界から16歳の時、福音にふれ光の世界へと移される魂の遍歴が、当時の海外からの宣教師の人間像と重ね合わせながら淡々と語られている。福音にふれた青年賀川豊彦がどのように学びの季節を過ごしたかは、時代は変わっても、自らの将来に漠然とした不安を抱えながら生きている青年たちにとって共感する場面ではないだろうか。さらに当時、自己像を確立するためにさ迷い続ける青年が、決して内向的になるのでなく、その思いはしっかりと時代と社会に向けられ、自分の使命を模索する姿は感動すらおぼえる。 21歳で神戸・新川に弱者救済のために病身ながら飛び込んだ賀川豊彦。その壮絶な青春の記は、自伝的小説『死線を越えて』にくわしいが、この無名の作者の作品が大ベストセラーとなり、やがて、その社会活動家としての名声はもちろん、稀代のキリスト教伝道者としての活躍は別の物語となる。 (評・守部喜雅=「百万人の福音」編集長) |
|
|
『ホーリネス牧師15人のメッセージ』 今年はジョン・ウェスレー生誕300年。本書はその記念出版で、ウェスレーの流れを汲む日本の12の教派・団体から推薦を受けた教師15人が執筆、様々な角度から「きよめ」について説いている。今の時代に「ホーリネスに生きるとは何か」を教えてくれる。(福音文書刊行会編/B6判/本体1700円) |
『イエスの終末のたとえ』![]() 著者が四国学院大学在職中に講義した「イエスのたとえ」を基に、削除・加筆しまとめた。多くは終末のたとえを扱っており、その希望について語っている。著者は「終わりの日を目指して備えをすることのために、本書が少しでも助けになるならば」と願う。(聖恵授産所出版部/B6判/本体1200円) |
|
|||||||
| 『わが家のリビング介護天国』
俣木聖子著(フォレストブックス、1,400円) 評・伊藤 規雄 |
|||||||
| 快老いろは川柳 著者は老人ホームのカウンセラー兼チャプレンとして10年間働いてきた経験と、『健康医学小辞典』にかかげられた「趣味を持とう」などのアドバイスを組み合わせ、ここちよく年を取るための45の教えを説く。「い:いらだちは命縮める諸病のもと」など目次も川柳で楽しめる。(いのちのことば社/B6判/本体1200円) |
秋田のお母ちゃん統一協会とわたりあう 娘が統一教会に入信してしまった−。突然の家出や繰り返される失踪の影に浮かび上がる邪悪な宗教。原理運動被害者父母の会会長でもあった著者は、同じ悩みを抱える親たちと共に反対運動に尽力する。1970年ごろから始まった活動もはや30年。状況はどう変わったのか。(ウインかもがわ/四六判/本体1500円) |
||||||
| 『「ハイデルベルグ信仰問答」講義』 春名 純人著/聖恵授産所出版部、本体4500円 福音の本質の確認のために |
|
| 『聖書的いやしの法則』 尾形 守著 ![]() 著者は「主イエスはどんな病もいやすことができる」との信仰に立ち「聖書的いやしの法則を読者に伝えること」を目的に書いた。いやしを受け取るには、まず「主はいやす者」「いやしは今もある」「いやしは贖いの中にある」と信じなければならないという。 (マルコーシュ・パブリケーション/B6判/本体1300円) |
『ひたすら人間らしさを求めて』 小助川 次雄著 ![]() 「ひたすら人間らしさを求めて」きたという筆者。苦学の学生時代、そして様々な病気との闘い。牧師になってからの自分。さまざまな宗教を見据え、「クリスチャンとして生きる」とは何なのかを解く。キリスト教自分の人生をたどりながら筆者が見つけた答えとは。 (いのちのことば社/四六判/本体1200円) |
| 『セル教会の本質と実際』石原良人著/JCMN出版、本体1600円 人間的社会学的な問題分析に社会学的な回答を与えている |
| 『ハドソン・テーラー霊的奥義』ランス・ワベルズ編 中国を中心に大きな宣教の足跡を残した説教者ハドソン・テーラーのメッセージを1日2ページ、1か月で読むポケット・デボーション・シリーズ。ほかにジョージ・ミュラー『信仰』、チャールズ・スポルジョン『祈り』も出た。サイズも小さめでどこにでも持っていける手軽さがある。(いのちのことば社/B6変/本体500円) |
| 『受けたもの伝えたいもの』阪田寛夫著 月刊「信徒の友」の連載エッセイを単行本化したもの。まど・みちお、安西均のなど著名人の詩から母という身近な人の言葉まで、著者の心に響いたものと自身の体験や思いを絡めて書いている。計24編の短編集の中から、また新たに心に響く言葉を探すことができる。(日本キリスト教団出版局/四六判/本体2200円) |
| 『心悩む者に神宿る』 「悔い改めの対話」を問われる ![]() 本書は福音主義神学会・全国研究会(02年秋開催)において発表された講演の記録である。内容は、監修者である牧田吉和氏の説教、日本における実践神学の第一人者である加藤常昭氏の発題講演、更に福音主義神学会を代表する4人の牧師による応答的発題講演によって構成されている。 加藤氏はすべてのセッションを担当されている。その論考は一貫して神の言葉の神学を出発点としている。そこから、日本における教会の働き人または霊的導き手としての牧会者とは何かを深く問い直し、それらを神学的な筋道を立てながら、提言としてまとめておられる。「《外からの言葉》を聴き、語り続けるように・」、「牧師のための魂への配慮をする仕組みが整っている制度の構築を・」、「対話のパースペクティヴを持った説教を・」というような言葉に加藤氏の牧会論の強調点が現れている。特に「牧会における告解と教会戒規の意義」を考察した際、われわれに対して「悔い改めと赦しに生きることができない限り、教会に生きるキリスト者はファリサイ派であり続ける」という問題提起をしている。真の悔い改めの対話が私たちの教会で実現しているだろうかと真摯に問われる。読みながら自らが問われる内容となっている。 また、河野氏の「信徒の牧会への参与」、堀氏の「牧会者のライフサイクル」、宮村氏の「愛の波紋としての説教」、そして窪寺氏の「牧会カウンセリングにおける仲介者としての聖霊の働き」などの考察も読者に多くの示唆を与えてくれる。 この度の研究会の結実をより豊かなものとするためには、現場の牧師たちがこれらの論考を取り上げ、更に討論していただくことにある。教団や地区の牧師会などでぜひ取り上げていただきたいものである。また、実践神学の分野でこのような対話がなされたことはとても意義深い。これを機に各論においての議論が深められ、牧会を実際的に援助し教会を建て上げる神学が構築されることを心から期待している。そのような大きな広がりを生じさせる貴重な書となるであろう。(評・具志堅 聖=日本福音同盟総主事・牧会ジャーナル編集委員) |
| 『福音主義神学における牧会』 「悔い改めの対話」を問われる ![]() 本書は福音主義神学会・全国研究会(02年秋開催)において発表された講演の記録である。内容は、監修者である牧田吉和氏の説教、日本における実践神学の第一人者である加藤常昭氏の発題講演、更に福音主義神学会を代表する4人の牧師による応答的発題講演によって構成されている。 加藤氏はすべてのセッションを担当されている。その論考は一貫して神の言葉の神学を出発点としている。そこから、日本における教会の働き人または霊的導き手としての牧会者とは何かを深く問い直し、それらを神学的な筋道を立てながら、提言としてまとめておられる。「《外からの言葉》を聴き、語り続けるように・」、「牧師のための魂への配慮をする仕組みが整っている制度の構築を・」、「対話のパースペクティヴを持った説教を・」というような言葉に加藤氏の牧会論の強調点が現れている。特に「牧会における告解と教会戒規の意義」を考察した際、われわれに対して「悔い改めと赦しに生きることができない限り、教会に生きるキリスト者はファリサイ派であり続ける」という問題提起をしている。真の悔い改めの対話が私たちの教会で実現しているだろうかと真摯に問われる。読みながら自らが問われる内容となっている。 また、河野氏の「信徒の牧会への参与」、堀氏の「牧会者のライフサイクル」、宮村氏の「愛の波紋としての説教」、そして窪寺氏の「牧会カウンセリングにおける仲介者としての聖霊の働き」などの考察も読者に多くの示唆を与えてくれる。 この度の研究会の結実をより豊かなものとするためには、現場の牧師たちがこれらの論考を取り上げ、更に討論していただくことにある。教団や地区の牧師会などでぜひ取り上げていただきたいものである。また、実践神学の分野でこのような対話がなされたことはとても意義深い。これを機に各論においての議論が深められ、牧会を実際的に援助し教会を建て上げる神学が構築されることを心から期待している。そのような大きな広がりを生じさせる貴重な書となるであろう。(評・具志堅 聖=日本福音同盟総主事・牧会ジャーナル編集委員) |
| 『神に呼ばれて 召しから献身へ』
日本キリスト教団出版局編 |
十字架と向き合い自分を直視![]() 不思議な本です。ふと気づくと、人生で一番重要な質問と向き合っている自分がそこにいます。 どのページを読んでも、自分がそこにいます。 ペテロやヨハネのように、イエス様を愛した弟子たちの物語を読んでも、律法学者や祭司たちのように、イエス様を憎んで十字架の死に追いやった敵の物語を読んでも、彼らの心と行動の中に、自分がそこにいます。 十字架を取り囲む人々の物語は読む者の心と重複し、一つの質問を投げかけてきます。「あなたは十字架上のイエス様とどのように向き合いますか」です。 この本の読者は肯定的であろうと否定的であろうと、この質問に答えざるを得なくなります。最終的には誰でも、イエスかノーかをはっきりさせなければなりません。 私にとって最も興味深く考えさせられたのは、ピラトという人物の人間性と十字架に対する態度でした。十字架に向き合う事を避けようとした彼の姿勢こそ、私たち日本人がとってしまうものだからです。 クリスチャンになったあとでも、この傾向はしぶとく私たちの中にへばりついています。手を洗って「私は関係ない」と宣言したいのです。しかし、避けようとすればするほど十字架そのものがピラトに迫り、イエスかノーを選ぶよう促します。 無関心を装うことは十字架にノーと答えることであり、最も卑怯で惨めな結果を招くものです。この質問からピラトのように手を洗おうとしても、逃れることはできません。 この本は、十字架を取り囲んだ人々を通して自分の心を見直し、十字架を直視するという、人生で誰もがしなければならない精神体験に導いてくれるでしょう。 この本は著者の一生を決定づけた体験から生まれたものです。この質問に向き合って出した答えが彼の人格であり、家庭であり、使命であり、仕事です。この質問に答えることが、あなたの生涯を、永遠を決定します。あなたはどう答えますか。 (評・平野耕一=東京ホライズンチャペル牧師) |
