もっと人間関係力を高めたいあなたへ、パフォーマンス心理学博士が贈る聖書のことば


人を心から受け入れる-出迎えの人間関係
「父は外まで放蕩息子を迎えに行った」


 春は新しい職場や新しい出会いがあり、人が訪ねてくることも多い季節です。
 ところで、相手があらかじめ決めたアポのもと好物の手土産を持って訪ねてきたとか、仕事のチャンスを持ってきたとか、有用な情報を持ってきたという場合、私たちはいつだってニコニコと歓迎することができます。なぜなら、彼らは招かれた客(インバイティド・ゲスト)だからです。ところが、実際の生活の中では、招かれざる客(アンインバイティド・ゲスト)が、なんと多いことでしょうか。
 単位を落としそうな学生が、突然ほかの仕事の最中に相談に来たりします。あなたが出かけようとする間際に、グチの電話をかけてくる人もいるでしょう。「困ったなあ」と内心私たちは思います。何とかして、この招かれざる客から逃れる手はないか、と内心思うことでしょう。
 でも、このような問題を抱えた人の側からすれば、そういう時こそ、誰かに受け入れてもらいたいと思っているのです。すべてがとんとん拍子でうまくいっている時は、人にグチも言いませんし、人のもとに助けを請いに行く必要もないのですから。
 しかも困ったことに、マイナスの状況を抱えた人ほど、こちらのちょっとした対応の悪さで、ひどく傷ついてしまいます。「自分が邪険にされた」という感覚、アクセプト(受容)されなかったという感覚は、そんな時ほど研ぎすまされるのが人間の心理的構造です。ではこのように、こちらから招いていない人々「招かれざる客」には、どう対応したらいいのでしょうか。
 聖書の中に大きなヒントがあります。「父親は彼(放蕩息子)を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」。有名な放蕩息子(新約聖書・ルカ一五章11|32節)の話です。
 名門に生まれながら、遊び呆けてすべての財産を使い尽くした揚げ句、ぼろぼろのぼろ布をまとって、「せめて、召使いにしてもらおう」と父の家に帰ってきた次男を、父親は家の外まで迎えに行って抱きしめました。そして中に入れ、体をきれいにしてやり、いっぱいごちそうを与えました。長男がそれに文句をつけても、「失われていた子が帰ってきたのだから」と説き伏せました。レンブラントらの有名な画題になっている「放蕩息子の帰還」です。
 この放蕩息子は、ほかの人から見れば「招かれざる客」です。でも父親はこの放蕩息子を心から歓迎し、「招いた者」、自分の身内として受け入れたのです。これによって、どんなにその息子が自信を取り戻し、その後、どんなに元気で働いていったかは聖書に書いてありませんが、きっと間違いなくそうだったでしょう。
 人に受け入れられることは喜びです。誇りです。ですから私たちも、どんな時でも人を心から受け入れるためには、外まで飛び出て出迎え、帰る時にはドアの外まで一歩出て手を振るくらいの努力をしてみませんか。相手がどんな人であれ、招かれざる人であれです。
 私自身、ときどき失敗しますが、いつもそのようにしようと毎日努力をしています。人を心から受け入れることは難しいことですが、実際の行動として、どんな相手でも出迎え、見送りをきちんとすると、それだけでも何人もの人が元気をもらい、ほっとして救われた気持ちになって帰っていくのです。