もっと人間関係力を高めたいあなたへ、パフォーマンス心理学博士が贈る聖書のことば


リーダーの孤独−よい助け手をもとう
「モーセの手をささえた」


 世の中にリーダーと呼ばれる人はたくさんいます。大学のサークル活動のリーダーから、大きな会社の社長さん、大学や神学校の校長先生という具合に、あちらを見てもこちらを見ても、たくさんのリーダーがいます。 
 そのリーダーには三つの資質が必要です。1.時代の先を読むこと、2.理念を明示すること、3.組織を引っぱること、です。
 この組織を引っぱるやり方については、長年にわたって、アメリカを中心にいくつかのリーダー論が研究されていて、上から引っぱる、いわゆる「命令型」と、中身を話してコンセンサスをとりながら、みんなを下から押し上げていく「サーバントリーダー型」の二つがあります。
 いずれのタイプを選択したとしても、リーダーが孤独であることに変わりはありません。失敗すれば、全責任を自分が負わねばなりません。成功しても、おそらくそれが自分自身の力だけであるということはあり得ないのですから、成功したときは「どんなにすばらしい部下に恵まれたか」ということを、しみじみ考えるでしょう。そして「そのような状態に自分がいるためにはどうしたらよいのか」を絶えず考え、自分を叱咤激励しなくてはなりません。だからリーダーは孤独なのです。
 しかしそれだけのことをきちんとやれば、三国志に登場する諸葛孔明のようなリーダーもいます。天文学にも武術にも詳しく、説得力もあり、彼の言うことに従って多くの人が動き、死んだ後もなお、諸葛孔明の命令に従って人々が動いたのですから。「死せる孔明、生ける中達を走らす」というとおりです。
 そのように考えると、まさしくイエスさまがその最高の例です。死して後なお、「どのような教えか」と、生きている人々がそれを考えながら動いています。そして、「いつかまた、自分たちと一緒に行動してもらえる日があるに違いない」と、多くの人が心の中でリーダーであるイエスさまに住んでいただきながら、行動しているわけですから。
 だからリーダーが何十年も何千年も走り続けるために、よき「助け手」たちが必要です。何人かの使徒が、イエスさまを支えたのと同じことです。
 聖書の中で最もわかりやすくビジュアルに言えば、イスラエル人をエジプトから導き出したモーセの「手」がいい例でしょう。「ひとりはこちら側、ひとりはあちら側から、モーセの手をささえた。それで彼の手は日が沈むまで、しっかりそのままであった」(旧約聖書・出エジプト記一七章8-16節)。
 モーセは年をとっていて、日暮れには、上げていた手が疲れてきたのでしょう。ついに両手が上がらなくなりました。でも両サイドからアロンとフルが、右手を持ち、左手を持ち、モーセの手が遠くから見たときに、上に上がっているように見えるようにしたのです。モーセの手が上に上がっている間、イスラエル軍は勇敢に進み続けました。そして、ついに日没には勝利をおさめたのです。
 リーダーは「両手を上げていなくてはならない」のです。しかし、上げているためには、心の孤独と戦いながら、多くの優れた助け手がともにいることが条件です。よいリーダーに孤独がつきものだとしても、よい助け手がいる限り、リーダーは前に進んでいくことができます。
 あなたはよい助け手を何人おもちでしょうか。