説教アウトライン:旧約聖書とクリスマス
旧約 
旧約聖書には、イエス・キリストの誕生の預言が記されています。

有名なメシア預言であるインマヌエル(主が共におられる)
イザヤ7:2)は、最悪な状態のときに与えられています。

王が動揺しています。イザヤ7:2
その王にメッツセージが与えられたのです。
@静かにしていなさい。(4)
Aそのことは起こらないし、ありえない。(7)
B求めない。そのような不信仰な王にもかかわらず、
  あわれみによって、主からのメッセージ与えられました。(12)
  それが、インマヌエルという約束でした。
  イスラエルを選び、その民を通して、恵みの救いを完成させる
  という神の約束は変わらないというのです。

新約
動揺しているヨセフに与えられた(マタイ1:18)。
マリヤがみごもったことは、不貞である。律法によれば裁かれることでした(申命記22:23、23)。それで内密に別れようとしたのです。
その時に、マリヤは、不貞ではなく、聖霊によるものであると告げられたのです。
処女懐胎は、人間的には信じられないことでした。けれども、ヨセフは聖霊の助けによって、信仰を与えて頂いたのです。
そして、深い神のみこころに委ねたのです。

  たとえ私共がどのような状況でも、神を求め、神に委ねるなら、神様がすばらしいことして下さるのです。神が共にいて下さるから。


        説教アウトライン:アドベントクリスマス
                   (主の来臨の待望)
 待望
  ・旧約時代は、キリストが来ることが預言され、
           その主を待望しました。
  ・新約時代は、キリストが来たことを あかししました。
           そして、その主がもう一度、再臨の主としてして
           来られることを待望する時代です。
 解放の約束
   あなたがたはただで売られた。だから金を払わず買い戻され      
   る。                    (イザヤ52:3)
  ・旧約:バビロン補囚からの解放   そして
   「わたしの民は、わたしの名を知るようになる。  イザヤ52:6」
   神を礼拝し、親しい関係に入る者になるという意味。
   さらに、それは、
民にとっては、夢を見ているかのように嬉しかったのです。
                             (詩篇126:1)
  ・新約:イエス・キリストによる罪からの解放
   神にとっても、喜びでした。ですから、私共も主を喜びたい。  
 預言の成就
  ・旧約:メシア預言
   「彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。(イザヤ52:13)」
  ・新約:預言の成就 ・・・・・・ キリストの謙卑
   ◆これが、クリスマスの中心テーマです。
   自分を無にして仕える者の姿をとり、、、、
   神は、キリストを高く上げて。ピリピ2:7〜11)。
  
   私共を救うためにキリストが来て下さったことを感謝したい。
   そして、再び来られる主を待ち望みたい。
 


 


アウトライン  タイトル:神のことばは、両刃の剣のようです
 
神のとこばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く。ヘブ4:12
 
  聖書のことばは、慰め、励ましを与え、力づけて下さいます。
また、みことばは、罪を示し、悔い改め、聖めます。
 バプテスマのヨハネは、そのような働きをしていました。
けれども、ヘロデはヨハネの忠告を受け入れませんでした。
 当時の状況を説明しますと
 ヘロデ王の妻のヘロデヤは、ヘロデ大王の孫娘です。ヘロデ王のめい
にあたります。したがって、ヘロデ王はヘロデヤと近親でした。しかも、
前妻を追い出し、自分の兄弟の妻であったヘロデヤと結婚したのです。
そのヘロデ王の罪を指摘したのがヨハネでした。

 聖書には、罪をしめされたときの反応が3つあります。
 a.悔い改めないヘロデ(マルコ6:14〜)
   バプテスマのヨハネによって、責められるヘロデ。しかし悔い改   
   めることなく、逆切れし、ヨハネを殺害します。
 b.悔い改めることを先延ばしする人々
 c.悔い改めるダビデ(詩篇51篇)
  預言者ナタンによって罪示され、悔い改めに導かれるダビデ。
  まさに、神のみことばは、両刃の剣のようです。
 罪を鋭く指摘します。それだけでなく、罪をえぐり取り、聖めます。

ヘロデ王が、罪を認めず、罪を示すヨハネを殺したように、  
人類は、罪を認めず、悔い改めることなく、イエス・キリストに負わせた
のです。今も、人は皆、傷つけあい、憎しみあっています。
 イエス・キリストは、すべての罪、咎を十字架で負われました。
この十字架に向かうとき、罪のゆるしがあるのです。


説教アウトライン タイトル:最後の望み
「主を求めよ。お会いできる間に。(イザヤ55:6)」

ここに万策つきて、最後にイエスに求めていった人物
がいます。
a.会堂管理者のヤイロ ⇒12歳の娘が死にそう
◆イエス様に、ひれ伏しています(マルコ5:22)
・一生懸命、必死に願った(23)
・自分の立場も、プライドも捨て、イエスに全き信頼。
・娘が直って助かるように(救われて生きるように)
b.12年間、長血で患った女性 ⇒長年の婦人病で苦し
んでいた。
・彼女は汚れたものとされ差別されていた
(レビ15:25〜30)
・イエス様なら、直せる(救われる)と思い
(マルコ5:28)
・相手にされなくても、せめて着物にさわるくらいな
らと謙った
◆「あなたの信仰があなたを直した」と、宣言された。
c.したがって
◆神の側の働きと人間の求めが神の時にかなう。
◆私共は、信仰をもって、みこころを求めることです。
 純粋なイエスに対する信仰によって。ゆだねること
によって。
◆求めるなかで、神の知恵と識別力が得られ、みこころ
 がはっきりしてきます。
   カトリックで有名な伝承の詩があります。
主よ、変えられないものを受け容れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、その両方を見分け
る英知を我に与えたまえ。
 「変えられないこと」と「変えられること」があ
ります。求めるなかで神のみこころを理解し、神
の恵みを体験させて頂きましょう。



説教アウトラインタイトル:主が再び来られる日まで
 初代教会では、礼拝中。或いは後に聖餐式がなさ
れていました。
礼拝者は、聖餐式を意識して礼拝を行っていたので
した。
礼拝に集うということは、聖餐にあずかると意味し
ていました。
本日は、聖餐について聖書からお教えられたい。

a.覚えておこないなさい。(1コリント11:24、25)
 忘れやすい私共が忘れないため
 視覚、味覚、触覚であじわい、十字架の恵みと救
いを確認するためでした。

b.あの夜のこと(1コリント11:23)
 直接は、最後の晩餐の夜。
 旧約時代の過越の祭りの起源となった夜
(出エジプト12:22)

c.主がこられるまで(1コリント11:26)
 地上の聖餐は期限つきです。主が再び来られるま
で、おこなわれるのです。本番の天国でイエスさま
から直接、聖餐をうけるまで。
 毎週、毎週主が再び来られることを待望して礼拝
に集います。そして、毎週守ることが義務的、律法
的、儀式的でなく、恵みへの応答となります。
 自己満足と自己欺瞞、そして、人を裁くのでなく。
主にお会いする日が近づいていることを覚えます。
 そしてその備えをし、待望するのです。
初代教会のクリスチャンはマラナ・タ!主よ来て下
さいと
            (1コリント16:21)



説教アウトライン タイトル:祝!復活の主イエス

祝!
 キリスト教会には、二大祝祭日があります。
クリスマスとイースターです。
クリスマスは、イエス・キリストが誕生したことを
お祝いします。イースターは、十字架で死んだイエ
スが、3ヶ目によみがえったことを祝います。この
誕生の処女降誕と復活は人間の知性では、到底受け
入れられないことです。けれども、そこに真理があ
ります。人間からでた救いではなく、神から来た救
いだからです。ポイントは、「宗教か信仰か」にあ
ります。

 キリスト教は、宗教ではありません。信仰です。
教祖の教えを守り、良い行いをすることが宗教です。
それに対し、信仰とは、信じて仰ぐと書きます。受
け取ってゆくことです。救われる方迭も神様がして
下さった。それを受け取ることです。自分の方法で
なく、自分の悟りでなく、神がして下さったことを
受け取ることです。それが信仰です。

復活の主イエス
 人間が自カ救済が不可能なので神が来て下さった。
その方法が処女降誕でした。そして、その方は人聞
ではなく神でおった。その証明が復活でした。
そして神のカが現わされたのです。
 地上に信じるだけで救われる道が完成しました。
その福音を弟子達が全世界に広めました。この
場所にも、その福音がとどいたのです
(ローマ10:9〜10)。
20年前に建てられ、神が働かれ、今も教会が守ら
れています。
 さらに、神が私共の教会を通して神の栄光が現わ
されます。それは、これからどうあるかにかかって
います。

これからの教会
 祈りが坊るのか。赦しがあるのか。愛があるの
か。暮ぴがあるのか?この教会を見て、神を知らな
い人はイエスを知ります。教会を見て、神を信じま
す。聖書は、教会に愛があるかと問うています
(1ヨハネの手紙4:20)。ですから、愛、恵み、赦し。
そして喜ぴと祈りに溢れた教会として、21年目を
スタートしたい。




メッセージ要約 タイトル:母の愛にまさる神の愛

母の日は、米国の教会から始まりました。
教会学校の教師としての労を覚え、亡き母親の愛に
感謝して、カーネーションが捧げられました。その
ことから世界中で5月の第2日曜が母の日としてお祝
いされるようになりました。本日は、母の愛にまさ
る神の愛について聖書から教えられたい。

◆まず、母の愛
「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなた
の母の教えを捨ててはならない。歳言1:8」「あな
たの母と父を敬え。エペソ6:2」神様は、親の愛を
通して、わが子に神の存在と愛。そして、人を愛す
ることを教えています。
 一般的に
・母の愛は、無償の愛です。
・犠牲的な与える愛です。おなかを痛めて産んだ我
が子を一方的に愛し続けます。
・いのちをかける愛です。
・歳言31章に、我が息子の幸せを願う母のことが
記されています。祈りの子であること(31:2).
異性に気を付けること(3)。強い酒に飲まれるな
(4〜7)。しっかりした伴侶を得よ(10〜29)。そ
して主を恐れる伴侶を(31:30)。母の愛は、広く
、高く、深いのです。

◆神の愛
地上で最も美しい愛、これが母の愛です。けれども
人間の愛には限界がおります。時間的にも体カ的に
も精神的にも。ですから、人問の愛は、神の愛を超
えられないのです。母の胎を通して私共を造られた
神は永遠です。(イザヤ44:24。54:8)母の日は、母
の愛を覚え、母の愛にまさる神の愛に感謝したいも
のです。