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 ・・・・私たちは健康を失うことを恐れ、病気になることを恐れ、事故を恐れます。健康を失ったところには、まるで何も良いものがないかのように思います。……そういうものは、人生においてマイナスであり、私たちにとって全く無益であるかのように思われるからです。
 果たしてそうなのでしょうか。……自分が痛みを経験するまで、私たちは他の人の痛みが十分にわかりません。また、自分が苦しみに遭って、やっと苦しみの中にいる他の人の心がいくらかでもわかるようになってきます。それが、「健康な」私たちの思ってもみなかった死角であったことを、私たちは思いがけず体験します。
 自分が、さまざまなかたちで人生の苦しみに出合うことはまた、さまざまなかたちで、生きることの深さ、豊かさ、また奥行きの広さを知ることでもあります。困難や苦痛に出合うことは、ともすれば平板で浅はかになりがちな「健康しか知らない私」を、自分や、他人の心の深い陰影を理解しようとする深みのある人間にしてくれます。
 (「人生における錯覚その一『健康こそすべてだ』」より)


 新約聖書のヨハネの福音書の中に、ラザロという人の話が出てきます(一一章)。ラザロは病気で死にました。その知らせを聞いたイエス・キリストは「あなたの兄弟はよみがえります」と、その姉妹であるマルタに語ります。それに対してマルタは「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております」と答えました。……マルタのことばの中には、失望と嘆きが込められていました。「私は、ラザロが終わりの日によみがえることを信じてはいます。しかし、それだけではこの悲しみは消えません」という心の叫びです。
 私には、このマルタの気持ちが痛いようにわかります。妻を亡くした直後、天国や復活のことばを聞いても、そこに慰めと確かな手応えを感じとることができないことが多かったからです。
 イエスさまは、こうした私たちの気持ちをご存知です。そして、きっぱりと言われるのです。「わたしは、よみがえりです。いのちです」と。未来の救いを信じてはいても、悲しみのどん底にいるマルタに対して、イエスさまは、いのちそのものであるご自身を、遠い未来ではなくその時に差し出して、絶望する彼女に寄り添ってくださったのでした。
(「死で終わらない人生」より)

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